『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』 ⑨ ビッグビートのルポが!
そうして、遂に発見、あのビッグビートは1965年6月10日にオープンした事がわかった。1966年4月号で、『「富田英三のジャズ喫茶漫歩 ⑧」だんもだんも、京都KYOTOの西洋的ママとひげのマスター』というジャズ喫茶巡りのルポにビッグビートが出ていたのでした、この「西洋的ママ」と言うのがシャンクレールのママさんで、「ひげのマスター」と言うのがビッグビートのマスター、斎藤宏氏(初めて名前を知った)なのです。
そしてこの中で、オープンデーが、去年の6月10日と明記されていたのです。
この記事はかなり続いていて、ここにルポされていれば良いなぁ、と思いながらチェックしていたのですが、本当にあるとは思わなかった。
これも懐かしい、「シャンクレール」。もはや顔は覚えていないが・・・。
下のイラストも、丁度同志社の前の電停(路面電車の駅)のまん前にあった。
私が生まれて初めて入ったジャズ喫茶なのである。
そして右ページが我が「ビッグビート」である。つまり、スイングジャーナル的には、京都の二大ジャズ喫茶とは「シャンクレール」と「ビッグビート」だったわけである。
ここからビッグビートが始まる。
そうなのです、スーパーができる前、今でも下町のところどころに残っていますが肉屋と魚屋と八百屋などが集まったマーケットの上に、外階段を上ってビッグビートに入るのです。
下のイラストで見ると、階段の手前で右に行くとそのままマーケットに入ります。外階段を上りながら、今日はどんなジャズが聴けるのか、とわくわくしながら登ったのです。
下がビッグビートの内部のイラストです。
かなりイメージが違います。多分、手前の左が登り階段に通じているはずで、イラストでは右奥に左側のスピーカー、そして見えないですが手前の右に右のスピーカーがあるはずですね。
私の当時では、階段を上がり、今のイラストの手前の二人の所に、あの勇壮なるJBLパラゴンが鎮座していた、と思われます。
そしてテーブルがそのパラゴンへ向かって、基本的に学校スタイルで並べられていた、と記憶しています。
うー・・・・懐かしい、45年前。
<本日の感想=まあ、ここまで来れば良いか・・・。ひげのおじさんとパラゴンの行方はわからないけれど・・・。>
初めまして。私にとっては何とも懐かしい記事です。開店の頃からのビッグビートの常連だったので、オーディオの変遷も少しは憶えています。ただ、正確なパラゴンの導入時期は思い出せませんが。
おお、遂に生き証人が現れました。開店の頃から、と言われるのがすごいですね。開店が1965年6月10日として、私が行き始めたのが多分1967年頃ですので、スピーカーは1年とか2年で変ったと思うのですが、感覚として合っているでしょうか?
閉店の頃もやはり通っておられたのでしょうか?
開店当日のことは知りませんが、烏丸今出川在住の高校のオーディオ好き同級生から近くに面白い店ができた旨教えられ通うようになりました。最初のうちは、タンノイのモニターレッドをコーナー型バスレフ箱に入れて川口無線が売り出していたものを使っていました。タンノイ純正のバックロードホーンと違って、レッド特有の結構固い締まった音がしていましたね。プリ、メインはcitationのアンプ(回路に凝りすぎてあまり売れなかったというので有名)でした。その後、オリンパスのS8Rが導入されるのですが、これはもうひとつマスターのお気に召さなかったようで、すぐにパラゴンへと変わりました。
肝心のパラゴンの導入時期ですが、実は私、搬入・セッティングの日に偶然現場に居合わせたにもかかわらず、その年や季節が思い出せないのです。どうも申し訳ありません。いつものようにビッグビートに顔を出したら、搬入の真っ最中で、マスターには、今日は帰ってくれと言われたのですが、奥さんが取りなしてくれたおかげで、その組み立て・音出しにつき合うという貴重な体験ができました。同じユニット構成なのに、オリンパスに比べてはるかに凄みのある音がすることに驚いたのを憶えています。また、奥さんも相当なオーディオマニアであることをその時知りました。閉店の方は、しばらく行かなかったら、無くなっていたのでショックでした。閉店の事情については京都のジャズ通には、ある程度の情報が入ってきましたが、熊代さんが知らないというのは初耳です。
うー、パラゴンの導入日に立ち会われたとは・・・。残念ですが、時期は仕方ないですね。
気になるのは、奥さんと閉店の事情です。
奥さんはお店には出ておられたのでしょうか?
閉店についての「京都ジャズ通間のある程度の情報」とはどのような話なのでしょうか?
いろいろ質問して申し訳ないです。このようなオープンの場で差しさわりがあるようでしたら、コメント書かれた中で、「公開不可」の旨書いていただければ、当方で公開しない措置を取ります。
何とか知りたいので、よろしくお願い致します。
ではお言葉に甘えて、まず、私にとってのビッグビートとは。
私も若い頃は随分ジャズ喫茶巡りをしましたが、オーディオを別にしても、私が理想とする、硬派・ストイック系ジャズ喫茶としてビッグビートは別格でした。それには、マスターの風貌、風格、謎めいた寡黙さも大きく関わっていますが、店の雰囲気も完璧、高校低学年だった私はリクエストをあまり待たずにかけてもらえるようになるまで2年ほどかかったと思います。それでも頻繁に通わざるをえない吸引力がありました。ましてや音の凄さにいたっては何をか言わんや、あれは単に「パラゴン」で括るような音ではなく、「ビッグビートのパラゴンの音」という、まったく別次元の音でした。オーディオマニアに、パラゴンの音をけなす人が結構いますが、不幸ですね。だって、ビッグビートのパラゴンの音を聴いたことがないのですから。私、ビッグビートが閉店してから、喪失感を埋めるために散々パラゴン喫茶巡りをしましたが、少なくとも私の知る範囲では、彼等の言い分がある程度わかるような次元の音ばかりでした。トランペッターの近藤等則氏がビッグビートの音の凄さを的確に表現した文章を何かの雑誌に書いており、さすがに音楽家の視点は違うなと感心したのを記憶しているのですが、残念ながら思い出せません。もしご存じでしたらお教え下さい。
そうですか、あの音は単なるパラゴンの音ではないと言うわけですか。そういう認識はありませんでしたね、パラゴンだからすごい、としか思っていませんでした。
残念ながら、近藤氏のビッグビートのパラゴンについての文章は知りません、何とか探し出して、読んで見たいものです。
ところで、KENさんは京都にお住まいですか?
最近では(この1-2年内で)パラゴンを聴いたのは都立大駅のジャズ喫茶「ジャミン Jammin」ですが、ライブ主体のジャズ屋さんで正直無残な感じでさらされていました(音がどうこうと言う以前でした)。
パラゴンでよく言われるのは、「寝ぼけた音」、「ライオンが洞穴の奥で吠えているような遅い低音」、「ピアノがキャンキャン耳につく」などですが、Takashiさんもビッグビートでそんな音は聴かれたことがないと思います。骨格のしっかりしたベース、唸りが目の前の迫ってくるシンバル等、冴えわたった音でしたし、特にドラムの迫力、質量感、実体感の凄さは、ビッグビート以後、私は経験した覚えがありません。とにかく、うまく鳴らすのが至難のSPであることは確かなようです。最近、ステレオサウンド誌別冊「大型スピーカーの至宝」が発売されましたが、パラゴンについて、かなり興味深い記事が掲載されています。
近藤氏の記事は何となくジャズ関係の雑誌だったような気がするのですが、自信はありません。私も時間を見つけて探してみますが、Takashiさんのビッグビートの記事発掘に見られるようなエネルギーはとてもとても・・・。
私は現在は東京に住んでいます。ビッグビート閉店の頃はもちろん京都にいたのですが、これも残念ながら時期が思い出せません。Jamminも訪れたことがあり、私の印象も、以前Takashiさんが訪問記に書かれていたものと同じです。ただし、あの店のパラゴンの箱はオリジナルではなく、秋葉原のヒノオーディオがつくった日本製です(もちろん中身のSPユニットはJBLですが)。
連投失礼します。
その性能をフルに引き出すのが困難という点において、一般市販のSPの中では、パラゴンはその最右翼に位置していると思います。そして、ビッグビートはそれを十分に鳴らすのに成功した(個人的には日本一うまく鳴らしていた)数少ないジャズ喫茶だと思います。Takashiさんや私を含め、あの時代にビッグビートに通うことができたジャズファンは、パラゴンが本当はどんなに凄い音を聴かせてくれるのかを体験できたという点で、大いに幸せだったと言えるのではないでしょうか。昔一緒に通った仲間で、今でもあの伝説の音を懐かしがる友人が少なくとも二人います。
すみません、今、朝早く夜遅い2日間を過ごしていますので、追いつけません。当方少々遅れますが、飛ばしていただいて結構ですのですので。明後日くらいに追いつく予定です。
そうすると、そのパラゴンをそこまで立派に鳴らしたのは、髭のマスター自身なのですか?あるいは、補助するオーディオのプロの方がいたのでしょうか?
開店の頃から閉店の頃まで結構頻繁に通い続けましたが、私に限って言えば、オーディオ関係者らしき人物を見かけたことは一度もありません。パラゴン導入の日はヤマハの人達が来ていましたが、SPユニットのレベル設定に、マスターはしきりに注文を付けていました。その時何となく、マスターは特に高音のレベル設定にこだわりのある人だという印象を受けたのを憶えています。
いずれにしても、最初からサイテーションのアンプ(後にはマランツとマッキントッシュに替わりましたが)などというマニアックな選択や、鳴っていたジャズの音質の素晴らしさから考えて、マスターは相当なオーディオマニアだったに違いありません。
しかしながら、そういう話題でマスターと言葉を交わしたことは一度もありません。もちろん、私の方はビッグビートのオーディオ機器群には大いに興味があったのですが、何となくその種の話題は避けた方がよいような雰囲気をマスターから感じ取っていました。事実、ある時、店内の機器についてしつこくコメントするオジサンが来て、マスターに完璧に無視され、居心地が悪くなったのか、すぐに帰って行くのを目撃したことがあります。
そういう意味では、純粋に、再生された音楽を集中して聴くためだけの、まさに「純ジャズ喫茶」だったと思っています。そのために、音とレコードだけには徹底的にこだわるが、オーディオの世間話などは無用。Takashiさんも憶えておられることと思いますが、一人で長時間じっと音楽に聴き入る若者がほとんどでしたね。したがって、「会話厳禁」とはどこにも書いていなかったけれど、会話はほとんどなし。複数の客の場合も男同士が多く、男女のカップルは珍しかったように記憶しています。
続けて、個人的な話で失礼しますが、実は私はビッグビートを知る以前は、ジャズをほとんど聴いたことがないクラシック音楽一辺倒の高校生だったのです。それが、ちょっとしたオーディオ的興味で訪れてみたこの店がきっかけでジャズの虜となってしまったわけです。
といっても最初はジャズは私には難解な音楽でした。しかし、自分だけの空間を身の周りにまとい、容易に人を寄せ付けないマスターの、今で言う「軽いノリ」とは正反対で、能書きを一切たれない独特の寡黙さ、そして、常に一定の手順とポーズで神経を集中してレコードとオーディオ機器を扱う雰囲気が、ガキの私が、当時、まだよく理解しないながらも漠然と抱いていたモダンジャズの世界のイメージにぴったりだったため、だんだんのめり込んでいったのです。ま、これはあくまで私の独断と偏見によるイメージですが・・・。余談ながら、恐ろしく濃くて苦いコーヒーもイメージに合っていました(高校生にはきつかったですが(笑))。
上にも書いたとおり、開店当初の頃のSPはタンノイでしたが、それまで日本のSPのつまったような音しか知らなかった私は、その闊達な音と音量の大きさにも魅了されました。余談ですが、これと同じSPを40年以上たった今も頑固に使い続けているのが、京都の「blue note」というジャズ喫茶(生演奏が主体)です。もちろん音質は当時のビッグビートにかなうものではなく、音量もずっと小さいのですが、今となってはこのSPは化石的価値があって懐かしいので、ごくたまに訪れます。
ということで、当時私はタンノイの音には十分満足していたのですが、これがJBLオリンパスS8Rに替わった時は、中高音の緻密さとドラムの切れの良さが格段に向上し、上には上があるものだ(あくまでジャズの再生という視点で)と感心しました。
しかし最も驚いたのはオリンパスからパラゴンに替わった時です。音の緻密さと鮮度感、衝撃音の迫力、低音の質感等、すべてが別格で、本当の生演奏とは別の意味での生々しさを感じることができるようになりました。タンノイとJBLはまったくポリシーの異なるメーカーですから違って当然ですが、オリンパスとパラゴンは同じJBL、しかもSPユニットはまったく同じなのですから不思議です。
もちろん箱の違いが重要なことも確かですが、ビッグビートがなくなって以後、各所でパラゴンを聴き、がっかりした経験からすると、そんな違いよりも、あの髭のマスターが、神がかり的にパラゴンの能力を限界以上に引き出していたのだと考える方が私には納得がいきます。
最近、パラゴンなども視野に入れてJBLが本気になって作った最高級SP“Project EVEREST DD66000”が人気ですが、確かにあらゆる点で優秀なSPですね。しかしジャズの再生に限って言えば、音の受け手にとって必須の、迫ってくる音の実体感、体で感じる音の質量感という点で、私はためらいなく「ビッグビートのパラゴンの音」に軍配を上げます。ただし、あくまで「ビッグビートの」という注釈を付けなくてはならないのですが。
昔、京都の小さな市場の2階に突如あらわれ、一部のジャズファンに強烈な印象を植え付けておいて、忽然と消えてしまった伝説のジャズ喫茶。色々な意味で桁外れだったその店を憶えている人、そして懐かしむ人はTakashiさんと私以外にもきっといると思います。
私はとてもオーディオでお話できるような能力を持っていませんが、あのマスターの寡黙で、淡々とした振る舞いに感じていたのは同じような感覚だろうと思います。
今でも、意味もなく残っているシーンは、まだ客が少ないとき、テーブルの高さまで目を持って行き、一直線に並んでいるかチェックしている姿です。何故か鮮明に覚えています。
そうですね、あの音、いつもかなりスピーカーに近く陣取っていた気がしますが、すごかった記憶だけですが、残っています。
>テーブルの高さまで目を持って行き、一直線に並んでいるかチェックしている姿です。何故か鮮明に覚えています。
そういえば、確かにそういう光景が記憶の片隅に残っているような気がします。
私も大抵スピーカーの近くに陣取っていました。パラゴンは50畳ぐらいの部屋で少し離れて聴くものだという意見がありますが、ビッグビートに関しては全然そういうことはないですね。
話を少しもとに戻しますが、私の時間感覚が不確かなため、Takashiさんのこだわりである、「ビッグビートは日本で一番早くパラゴンを導入したジャズ喫茶であったのかどうか」というテーマについては、はっきりしないのが残念です。しかしいずれにしても、その後、関西にもパラゴンを置くジャズ喫茶がかなりの数でてきましたから、ビッグビートがパラゴンを鳴らしたジャズ喫茶の草分けであったことは間違いないでしょう。
京都では、一乗寺の「ダウンホーム」というジャズ喫茶がビッグビート以降では有名で、パラゴンを大音量で鳴らす硬派なジャズ喫茶という点ではビッグビートと共通するものがありました。短い期間に激しく燃え、消えてしまって伝説と化したビッグビートと違って、こちらは憶えている人が多いようです。
しかし、この店の音が、ビッグビートと決定的に違っていたのは、中高音がややきつく感じられる点と、低音がもたつくことがある点でした。でもこれは一般的にパラゴンの宿命とも言われている弱点が少々出てしまったということであって、すでに当時相当数出現していた関西の「パラゴン喫茶」の中ではかなり上位に位置する音であったように思います。ということは、それだけビッグビートが別格の音を出していた、すなわちパラゴンの弱点を消し去り、その強み・凄みだけを完璧に引き出していたということになると思います。
こうやって書いていると、若いときの思い出が過剰に美化されているだけではないかと疑われる方もいるかも知れません。当然のことながら音なんていうものは好みの問題が大きいですから、私もまったくそれがないとは言いません。とは言え、私は小学校のことからのクラシック音楽ファンで、中学の頃はそれをできるだけ良い音で聴きたいと思って自作なども始めていたオーディオ少年でしたから、音を客観的に評価する能力は高校、大学の頃にはある程度形成されていたと自分では考えています。そして、ビッグビートにはまってからも、オーディオ系ジャズ喫茶はかなり訪問し、冷静に比較していたと記憶しています。
最近もパラゴンの人気は衰えておらず、これを置くジャズ喫茶も増えていく傾向にあります。ビッグビートに迫る音のジャズ喫茶を見いだすこと、それが当面の私の願いです(当面といったのは、「マスターや店の雰囲気」まで求めるのは宝くじの一等を狙うようなものですので)。
何時の頃のことかわかりませんが、残念ながら一乗寺の「ダウンホーム」は全く知りません。名前を聞いた事もありません。(学生時代はその辺りに下宿していましたが・・)
現在の東京辺りで、パラゴンを使っているジャズ喫茶はかなりあるのでしょうか?
ダウンホームは、ビッグビートよりかなり後でできたことは確かですが、重なっていた時期があるかどうかについては記憶が定かではありません。ただ、部屋の広さ、および床や壁の堅牢度など、条件はビッグビートより良さそうに見えたのに、どうしてこんなに音が違うのだろうと不思議に思ったのは憶えています。
私も若い頃はジャズ喫茶行脚を結構やりましが、今はTakashiさんのブログなどを参考に時々出かける程度で(つい最近もジャズ・オリンパスに行ってきました)、ビッグビートの記事もこのブログで知りました。
パラゴンの置いてある喫茶店ですが、それを調べている人がいますね。
http://blogs.yahoo.co.jp/sakiy7/36218627.html
私も関西の「Corner Pocket」と「JUST IN TIME」は是非訪れてみたいと思っています。この資料によれば東京にも結構あるようです。「柿の木坂」とあるのは「Jammin」のことでしょう。
またまた私事で失礼しますが、当時ビッグビートの音に激しく感化された私は、当然のことながら、「いつかはパラゴンを」が目標となり、それがその後のオーディオ趣味の原動力となりました。しかし、無理をすればパラゴンの中古が買える年齢に達してからも、ついに購入することなく、かなりの紆余曲折はありましたが、現在は全く違う方向性のシステムで聴いています。それは何故か?
ビッグビートにパラゴンが導入された1960年代の後半は、まさにパラゴンの全盛期であり、髭のマスターは、その時期に、最も活きのよいピカピカの新品を購入したのです。しかもあっという間にそれを手なずけてしまい、魔法のような手腕で、その能力の凄さを見せつけてくれたわけです。
一方、今手に入るパラゴンは、その宿命とも言える弱点、すなわちユニットの劣化という問題を抱えています。特にウーファーのエッジは張り替えられてしまったものも多い。パラゴンさんの「俺も若い頃はその方面では恐れられたものだが、今は年をとってしまって持病を抱え、手術も受けて、昔のようにはとてもとても・・・」という愚痴は聞きたくないのです。昔の基本性能さえ望めないのですから、往年のビッグビートの音など望むべくもない。ということで、JBLは、ユニットだけでもよいから完全復刻版を出してくれないものかと、心底思っています。
とは言っても、今のオールドパラゴンにも十分に魅力はあります。だからこそ、形だけでなく、その音に惹かれるマニアが後を絶たないわけです。昔のような、体にぶつかってくるような衝撃音の質量感と切れは、引き出すのが難しくても、むせび泣くようなトランペットの音の密度感は今も健在で、うまく鳴らせばパラゴンの独壇場です。
こんなに鳴らすのが難しいスピーカーと、今も必死に格闘しているパラゴンフリークオーナーには尊敬を禁じ得ません。
自分のブログでもないのに、「伝説のビッグビート」という共通の思い入れに甘えて、好き勝手なことを長々と書くことを許していただいたTakashiさんのご厚意に感謝しています。とともに、いざ書いてみると、こんなに書くことがあったのかと、我ながら驚いています。でもさすがに、もうそんなに残っていませんが、あともう少しだけお願いします。
一般に、「いくら特性を向上させても生の音を再現するのは不可能」と言われますが、それはそのとおりだと思います。しかし、まったく生とは違う方向性にもかかわらず、頭の中に、「生より生々しい」というイメージを植え付けるような音を出すことのできるスピーカーというのがあると思います。これは万能型スピーカーでは無理で、特定のジャンルの音楽における特定のスピーカーという図式になるのですが、ジャズにおけるパラゴンがまさにそれです。
それにはパラゴンの、フロントローディングホーンと湾曲した反射板という、あの独特に形状も関係しているのではないかと思っています。その結果、ステレオ録音であろうがモノラル録音であろうが、あまり差を感じさせることなく独特の凝縮された音場を形成するのです。すなわち、現代スピーカーの持ち味である、フワッとした音場や音の前後左右の広がりとは対極に位置し、質量感と密度感に溢れた音の塊を浴びせかけてくることができるのです。
ということで、パラゴンは決してカッコだけ、見かけだけのスピーカーではありません。あの、見ただけでほれぼれするような形状には、スピーカーの機能という点でもしっかりした理念があり合理性があるのです。
どうぞ全くお気になさらないで、存分にお話下さい。当方は、正直ついて行けるだけの能力がありませんので、少々傍観状態です。
ちょっと調べるだけでもあの既に生産中止になって長いパラゴンに取り付かれながら生きている人がかなりおられるようですね。メンテナンスするのは大変でしょうね。
そもそも根本的な設計思想って何だったのでしょうか?そして、どういう計算であんな形になったのでしょうか・・・?
段々思い出そうとすると、私の記憶では、左右から伸びているホーン状の穴から出てくる音と、後ろの湾曲した壁の両側から出てくる音と、双方共にそれぞれの楽器の姿が浮かび上がるような区分された音が出ていたような感じが残っています。総合的な音と言うより、個々の楽器の音が、聞こえてくる感じが良くした、と言う気がします。音の区分だけでなく、物理的な楽器と楽器の間の空間がcm単位でリアルな感じで出て来ている感覚でしょうか。
どうも、本文でどのように扱ったら良いか思いつきません。何かアイデアおありでしたら、お教え下さい。
>そもそも根本的な設計思想って何だったのでしょうか?そして、どういう計算であんな形になったのでしょうか・・・?
あの時代は、オールホーンシステムはスピーカーのひとつの理想形でした。最大の難関である低音ですが、日本では、ゴトーユニットを使い、開口部2m x 2m, 長さ4mのコンクリートホーンをこしらえて、部屋自体をスピーカーの一部みたいにしてクラシック音楽を鳴らすマニアもいました。パラゴンはそれに比べればホーンがずっと短いので、重低音は望めませんが、それがかえってジャズにはよい方向に作用していたように思います。いずれにせよ、ジャズの再生においては、ビッグビートの音には、低音ホーンの欠点というものが何ひとつ感じられませんでした。
>総合的な音と言うより、個々の楽器の音が、聞こえてくる感じが良くした、 と言う気がします。
まさにこの点ですね。今のスピーカーが得意とする全体的なフォーカスやサウンドステージの代わりに、個々の楽器の音が迫ってくる。例えばサックスのソロの質量感と密度感。上にも書きましたが、生とは別の生々しさ・鮮明さが、ジャズに没入せざるを得ない刺激を生み出すのです。これはライブとは方向性の異なるジャズの楽しみ方ですね。あの頃、マイルスやコルトレーンのライブを聴くチャンスは滅多になかったですし、今となっては不可能ですが、音を介してプレーヤーと自分との相互作用が感じられるような再生ができるなら、それは最高の贅沢でしょう。パラゴンはそれを与えてくれる能力を持っていたスピーカーであり、ビッグビートはそれを示してくれたジャズ喫茶であると思っています。
>どうも、本文でどのように扱ったら良いか思いつきません。何かアイデアおありでしたら、お教え下さい。
これは私にも難しいです。Takashiさんとのやりとりを新たなエントリーにするのも長すぎますし、重複になりますね。しかし、アレンジや省略はまったく気にしませんので、お好きなように使っていただけたらと思います。
もしくは、お時間をいただけるなら、私なりに全体をまとめることも可能かも知れません。いつになるかはわかりませんが。
ビッグビートが無くなったのを知ったときはショックでした。僕にとってはジャズ(とオーディオ)への扉を開いてくれたお店です。コメントのやりとりを拝見していてひどく悲しくなりました。
旅行すると普段はたまにしか行かないジャズ喫茶を探します。
それは結局ビッグビートで突然胸中に入ってきたカーメンマクレーの声をもう一度味わいたいという思いだったのかもしれないと考えています。
もしかするとフェイスブックの「ジャズ喫茶案内FACEBOOK」に参加しておられるかもしれませんが、勝手ながらグループへの書き込みにこのページを紹介させていただきます。12年前の記事でもありますので宜しくご容赦くださいますよう。
こんなこと書ける場所が有るのを知りません出した。
うれしくなり投稿させていただきます。
先日、室町今出川界隈に行くことがありましたが、ビッグビートがあったあたりの変わりように驚きました。当時はまだ高校生でしたが、ジャズにはまり、京都のジャズ喫茶めぐりをしていたころを懐かしく思い出しましたがこの変わりようは当然といえば当然ですが少し寂しかったです。
京都のジャズ喫茶の中でもビッグビートは特段の思いがあります。初めて行った時のこと。入店時はちょうど曲の合間で座った場所がパラゴンの真ん前。なんだこの大層なスピーカーは、と思っていたらいきなりビッグバンドの曲がかかり、その音量、音質の凄かったこと。そのバンドの変態的な演奏が素晴らしかったことと相まってまさに頭が沸騰したようでした。このことがきっかけで、そのバンドのファンになり、のちにジャズバンドを結成するきっかけになりました。また、このパラゴンの音がきっかけでオーディオそのものに強く興味をもち、後々オーディオ趣味への道へと突き進んでゆくことになります。(パラゴンとは遂に縁がなく人生終わりそうですが、、、、)
京都のジャズ喫茶、ダウンビート、シャンクレール、SMスポット、後のビッグボーイ、マンホールなどそれぞれ思い出がありますが、私の音楽人生に大きな影響を与えた(大げさな)ビッグビートはあの時特別な場所となりました。
当時のオーナー、あの環境であの曲をかけてくれて、今思うと奇跡のような経験でした。ありがとうございました。