ナイジェリアの日本食堂|65歳からアートを造る
お正月1月2日にTVを見ていた所、『世界の秘境で大発見!日本食堂 第22弾』と言うのがたまたあったので、つい見始めた、最初はスロベニアのたこ焼きだったが、次のナイジェリアが凄かった。
こんなのが、凄い大冒険だ、と言うんだなぁ、と感心してしまった。(エヴェレストに登るのも、舟で海を航海するのも、そうだけれど・・)
つまり、ナイジェリアの海上スラム町で無料の日本食堂を開始し(まだ開店2か月半)、また、その考え方が良い。
(これが世界最大級の海上スラムである、約25万人が住んでいる=土地ではないのである)
(スラム内は船で移動する)
この一角に『HAYATOレストラン』がある。
(そうして明るく快活な主人公、森田隼人。46歳。)
番組の途中で、一茂氏が「あれ、この人の肉レストランで良く食べてたよー、一体どうしたんだ?どうしてこんなところにいるんだー。」と叫びだし、最後は「こいつ、すげーやつだなー。」で終わる。
(危険な国、その中でも、多分一番危険な地域だzろう)
<以下は私事>
<ナイジェリアには現役時代、仕事で4度ほど行った事がある。現地での車不具合をカバーする復活キャンペンだった。1981年頃だから40年以上前だ。その頃ナイジェリアは石油がで出て、一気に金持ち国になった。多くの会社がナイジェリア目指して進出した。但し、それを元手に大借金を繰り返し、ナイジェリアは超債務国になったー盛り上がったビジネスは一気にしぼむ当時現地に自動車工場を作ろうとした自動車会社もさっさと引き上げた。当時でも、超あぶない国で、ぼくたちは首都では鉄格子のあるホテルに泊まり、絶対外に出るな、と言うような感じだった。
『ご参照:カフカな人、海外広告アドベンチャー 1981年2月 ナイジェリア:最初の訪問|ぼくの海外広告アドベンチャー時代 | カフカな人 65歳から美術のようなものを始める 』>
彼は、日本とナイジェリアを往復しているとの事なので、更には無料のレストランを営むので、日本できちんと生活、資金の手当てをやっているのだろう。
(ハヤト食堂へ集まった人たち)
(そうして、子供たちにも放課後食事を無料で提供する)
彼の目論見は次の通りだ(と思う)。
この世界一大きな海上スラムで人々に料理を教え、彼らが(多くの人が)、シェフとして、生計の手段を得て、スラムから出て、暮らして行けるようにする。今の弟子に教え、そして、その独立のための、看板料理を作り、独立を支援する。その人数を増やしてできる限り多くの人がスラムを離れ、各地で独立して生活して行く。
何となく、最近の、前澤友作市の『国民総株主』構想に似ている。どちらも頑張ってね。
ナイジェリアの海上スラムで暮らすだけでも大変な事だ。そこで、真摯に活動している。すごい。