「伝説の京都ビッグビート」関連で、「パラゴン・大阪・バンビー」が登場
知らなかったとはいえ、失礼なことに、どうやら、明らかに、大阪・神戸に展開された「Banbi バンビー(伸びるらしい)」が、日本で最初のパラゴン持ちのジャズ喫茶だった、ようです。 三宮のバンビーとの事です。 多分、ここにパラゴンが・・・。 写真は、 竹内ヒロクニ氏のブログより 「『伝説の京都ビッグ・ビートを巡る散歩④』パラゴンを日本で最初に導入したジャズ喫茶はビッグビートかファンキーか?」の記事にコメントをつけていただいた「むかいじゅん」氏は次のように言われています。 「大阪に2件、神戸三宮に1件その内南区心斎橋店と神戸三宮店にパラゴンが有りました。お店はbanbiで経営者は乾さん。これが関西の草分けです。梅田のファンキーはオリジナルのユニットでは有りませんでした。」 バンビー+パラゴンでチェックしてみると、どうも確定的に明確な年はわからないのですが、1960年にはパラゴンが設置されていたかも知れない、という感触があります。 私たちは、1966年とか1967年とかで、京都ビッグビートと吉祥寺ファンキーで争っていましたが、ずいぶん先に、少なくとも、1965年以前にバンビーがパラゴンを聴かせていたのは確かと感じます。 これで、ファンキーの広告にあった「東京に初登場」の言葉の意味がわかりました、既に大阪にBanbiのパラゴンがあったからでしょう。 パラゴンは1958年にアメリカで発売開始され、これらは日本では未発売で、1965年から山水がJBLを輸入開始したのですが、もし、1960年にパラゴンがあったのならば、個人的に輸入されたもの、と言うことになります。この辺りは、まだ良くわかりません。 (続く)
はじめまして、
かまやんと申します。
30年前の中学、高校生時代に、よく難波のBambiに行きました。
80年代初頭の大学生時代には梅田のBambiにも。
いつのまにか、梅田店はなくなり、
難波店は通称ひっかけ橋と呼ばれる道頓堀にかかる橋のたもとで、後に経営をNewJapanに譲渡されて営業を続けていましたが、やがて、今世紀に入るか入らないかの時に消えてしまいました。
難波店では1FがParagon 2FがOlympus、
梅田店では・・・・3階建だったと思うのですが、3Fに4320、ほかのフロアに置いてあったSPは忘れてしまいました。2FはL101だったかなぁ・・・
私もJAZZ喫茶めぐりが好きで、出張の度に
下調べをして訪問します。
Paragonを置く店では、
小樽のGroove、神戸元町のJustInTimeが
良いと思いました。
どうもありがとうございます。
30年前と言うと、1980年頃ですね。
その難波のbanbiのパラゴンが最初に鳴った頃はいつごろだったのか、はご存知ありませんか?
私が通い始めたのは中学1,2年の1976年ごろだったので、
すでにパラゴンはかなり、使い込まれた感じでした。
お役に立てず申し訳ありません。
どうも無理な事をお聞きして申し訳ないです。
京都ビックビートなつかしくて、メールします。私、1956年生まれで実家はBBの徒歩5分圏内の所でした。高校1年生から19才位まで、ほぼ週に3~4日開店から入店してました。髭マスターの完璧なレコードの取扱を何時も見てました。私が、かよってた頃はオープンニングLPはジョーファレルのCTIの(蝋燭が中心にある)ジャケのLPでした。クローズは、いつもビリーホリデイの奇妙な果実でした。パラゴンのやさしい響きはもちろんのですが、当時、独特のコーヒーの美味しさも忘れられないです。自転車、学生服で、いつも行ってました。私が聞いた話では、1階の市場の火事以降、閉店されたと聞きましたが?LPレコードの扱い方と、ジャズのセンスを教えて頂きました。あ~髭マスターのコーヒーが飲みたいです。
貴重な情報ありがとうございます。
記事にさせていただきました。
また、何か思い出されれば、よろしくお願いします。