つげ義春とカフカ |65歳からアートをつくる 


何か気が向いて、トンボの本の「つげ義春 夢と旅の世界」(2014年発行)を借りてきて読みました。
つげへのインタビューが掲載されているのですが、その中で、つげは、「どんな芸術も最終的に意味を排除するのが目標」「リアリズム」「シュールリアリズム」「夢」などをベースに、「リアリズムを目指した」「リアリズムは意味を求めないあるがままの状態」「シュルリアリズムも同じ方向」・・・と展開しています。それが自作の「ねじ式」とか「外のふくらみ」「夢の散歩」だが、・・・・要約するのは面倒なので興味あれば図書館で借りて読んで下さい。

その中でカフカが出てきます、「その後カフカを読むようになったら、やはり出来事の描写だけで意味がなく、同じ方法をやっていたのですね。でも自分はカフカ流のマンガでは食っていけないので・・」
そうですね、それがカフカの大きな魅力です、もう長い間カフカも読んでないし、評論なども何も覚えてないけれど、その、心理描写などがない、すごさは感じていた。
多くの小説家が、その後のほとんどの小説家がカフカの影響を受けているけれど、その点を継続している人をぼくは知らない。
村上春樹も好きだが、ずっと情緒っぼい。


 

 

 

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