本日78歳になりました+カフカ100年|65歳からアートを造る
大体、これまでは誕生日が来ると、また年取った、と愉快ではなかったのだが、まあ、だんだんと、「幸運にもここまで無事に生きて来た」と言う方向になって来た、良い事である。
かなりの知人が既に亡くなっている。(昨年5月には幼稚園時代からの友人、津山のジャズ喫茶、邪美館(閉店)だったマスター倉持氏も亡くなった)
私とて、思い起こしてみると、少なくとも5回は、あの時ちょっとだけ周囲の物事が違っていたら、死んでいただろう、という事があった。今いるのが、幸運としか言いようがない。
どこの誰かへとは知れないが、何となく天に向かって、ゆっくりと感謝するべき、と言う気がする。
前にも言ったが、6月3日はカフカの亡くなった日でもある、100年前の今日、亡くなったのである。
病気は当時の不治の病、結核、そばに付き添っていたのは最後の恋人「ドーラ」と言われている。それなりに救いはある。
何となく、カフカの地位が低くなってきている気がする。随分前だが、私のカフカの作品を見て、若い女性が、ある質問をした「なぜxxはyyなのですか?(詳細は忘れた)」
すぐさま、傍にいた中年のアーティストが「いいんだよ、カフカなら何しても許される」と言い、若い女性は、「カフカなら、ですか?」と変な感じに陥っていた。中年の人も言い過ぎかもしれないが、若い女性は、カフカと言えば「変身」、と思っていて、あんな怪奇物の小説の作家の名を、さも世界的な大家のように言う事が理解できないようであった。
つまり、多分、カフカの「変身」は、学校で習うようなもので、生徒にとってはカフカはそこで固定されるのだろう。「変身」、よくある怪奇物ではないか?と。
どうぞ、「城」とか「審判」とか他の短編も読んで欲しい。
さて、私はこれからどうすべきなのであろうか?選択肢は多くはない。