第二次東北ジャズ喫茶行脚: 大槌 クイーン (2): 続きあり
入店したのが12時前、出たのが多分15時頃(?)その間、お客はなし、ずっと二人で話していた。
覚えているのは、まず、下北沢のマサコの話。マスターは70歳なので、私より6歳上、大学時代にマサコに通っている。もちろん、マサコ・ママの時代、何かで読んだ事があるが、ジャズのスタンダードを覚えなくてはならない事件の話。うーん、近いところにいますね。
それから、マイルスが新宿の屋外ステージでコンサートをした話、これは、実は私も行っている。確か、2夜連続で行ったはずだ。これもかなり近いところにいますね、あの時、このマスターも現場に居たわけですね。
それから、やはり、東北の大事件、ベイシーを独力で呼んだ話、1000万円を集めなければならないこと、やっと集まったこと、2000人のコンサートが出来た事、今は500人で御の字だ、など。
最後の1枚という、カウント・ベイシー招聘のコンサートのパンフレットをもらってしまった。
野口久光氏と会長の菅原昭二(ベイシー)の言葉が載っている。
当時、これだけのジャズ喫茶が存在し、各店がこのイベントに貢献した。
1979年10月14日(日)、
午後6時半、
岩手県民ホール、そして
主催は「岩手県にカウント・ベイシーを呼ぶ会」
左下に「ブラウン」とある。
「あれ?明日水沢の<レイ・ブラウン>に行く予定ですが、関係あるんですか?」
「うん、一度店やめて、今再開して、<レイ・ブラウン>にしたんだよ。」
「結局、当日おれはいろいろな事務関係で、殆どベイシーを聴いていないんだよ・・・損な役回りだったよ。」
(続く)
最初入ってきたとき、第一の質問は、やはり、「どちらからですか?」でした。
「東京の方です。」
「どこか周っているのですか?」
「そうですね、2-3日で周ろうと思っています。ここはまず第一に直接ここまで来ました。」
「へえー、そうですか、そういえば、ベイシーは休日だし、こんな時間に他の店は開いていないですよね。」
「それもあります。この一番遠いところにまず来て、この後は釜石の予定です。ベイシーは明日の予定です。」
「なるほど、こういう人もいるからね、だから無休で、早くから開けているんだよ。」
おー、素晴らしい。こんなにもジャズファンのことを考えてくれているのだと、密かに感動した。
と言いながら、無休が怖くて、出発1週間前には電話し、店に居る娘さんから「やってますよ。」とちゃっかり確認をもらっている。
(続く)