これからどんなジャズ生活をしようか? (2)
このタイトルで(1)を書き、中途半端にしていたところ、コメントがあり、投稿者からは、彼のお師匠さんを元にして、次のような問いがありました。 「師匠は、ジャズは昔のものをレコードで聞き込むのがベスト、今のプレーヤーをライブで聴く価値は無し、というスタンスでしたが、近い感じでしょうか?」 これは次のA)、B)2つを含んでいると思います。真意は不明ですが、表面的な文面では、次のように考えられます。 A)レコードの時代のジャズをレコードで聞くのがベストである。 1)レコード時代のジャズをレコードで聴くのがベスト 2)レコード時代のジャズをCDで聴くのは2番目 3)CDのみしか発売されない時代のジャズは上記1)2)には及ばない。 B)現在演奏しているプレイヤーのライブを聴くことには価値が無い。 これには以下のように2つ考えられるのではないか、と推察します(推察です)。 1)全般的に現在のプレイヤーの演奏するジャズは昔の偉大なジャズを越えられないので価値が無い。従って、それを聞く事に価値が無い。 或いは、 2)現在のプレイヤーがジャズを演奏する事はそれなりに価値があるが、自分にとっては昔のジャズを聞くだけで十分なので、自ら聴く価値を感じない。 ただ、ライブと記録物を区別されているかどうかわからないので、そのあたりはとりあえず同様にしておきます。 一方、新年、ジャズ喫茶に行こうとして、明大前マイルスは7日からなので、四谷いーぐるはどうかな、と思いHPを見たところ、私がこの題目(1)で思っていた事を、ずっと分かりやすく、マスターの後藤さんが書かれていたので、引用します。 冒頭のページから、私も同様な気持ちです、 「ジャズよ、死ぬな。」 『店長は後藤雅洋。 ジャズ関係の著書もたくさんある硬派のマスターです。 ジャズよ、死ぬな。』
そしてブログで。(ちょっと長いですが・・。) 『12月18日(土) もう何年も前から言っていることだが、いまや「シーン」などというものはない。ただ、さまざまな事象(アルバム)が相互に無関係(なように)散らばっているだけだ。当然「一年を回顧」してみても、特定の「傾向」などというものは読み取れない。
とは言え、そうしたジャズの現実を実感する意味では、やはり「2010ベスト盤大会」の意義はあると思う。私自身、一年を振り返ってみて「これは」と思うような作品は思い当たらない。名の知られたミュージシャン、パット・メセニーにしろ、キース・ジャレットにしろ、そして、ジョシュアやメルドーなど、みなそれなりに話題となったアルバムを出してはいるのだけど、彼らの最良の時代を知っているオジ(イ)サンたちの目から見ると、「ものたらない」のだ。
その中で迷った末にかけたのがヴィジェイ・アイヤーの『ソロ』(ATC)なのだが、これは秋の新譜特集でも紹介していたので、二番煎じの感は否めない。では、「どうしようか」と比較したアルバムは何かというと、スコット・コリーの『Empire』(Cam Jazz)で、もちろん聴きどころはビル・フリゼールと、ブライアン・ブレイドの参加だ。
では、なぜ選ばなかったのかというと、「既視感」というか、「いいのだけど目新しくない」という、ゼイタクな感想だ。まあ、そんなことを言えば、ヴィジェー・アイヤーだって大して変わらないと言われそうなんですけれど・・』 やはり、ああだこうだ言いながら、また現在のジャズの状況が決して過去の偉大なジャズの、革命が続いた連続的発展を超える事ができないのではないか、と感じながらも、それでも、「ジャズよ、死ぬな」と考えるのか、「過去の偉大さだけで十分だ、死んでもいいよ」と考えるのか、のような気がします。 僕たちのような聴くだけの種族にとって(ジャズはもっともっと末広い裾野を持っている)、ジャズルーツの延長に、何かとんでもないものを引き連れて、突然浮かび上がってくる人がいないとは断言できない。いるとすれば、今現在どこかで演奏しながら蠢いているはずです。 間に合って欲しい。 (多分、続く)