1979年10月 上海横浜工業展覧会:街の中で大スター|ぼくの海外広告アドベンチャー時代

展示会は長丁場の2週間くらいで、ずうっといても仕方ないので交代で休みを作った。
 
ぼくたちが宿泊しているのは、昔の上海租界の近くにある有名な和平飯店。薄暗いホテルの部屋の様子がものすごくクラシックで素晴らしい。
 
1階でジャズをやっている年寄りの中国人バンド。この雰囲気はここの他のどこで味わえるのだろう。
 
 
そうして、上海探訪に出かける。
上海はおもしろい町だ。そこはかとなく昔の魔界都市上海が感じられる。あの、戦争中、上海はどんなに悪魔的な、魅力的な街だったか、想像できる余韻が残っていた。
 
その頃はまだ中国が門戸開放した直後で、ほとんどすべての人が、人民服を着ていた。その中に、GパンにTシャツ姿に野球帽かぶって歩いているぼくたちは皆の注目の的だった。
 
ちょっと道路に立ち止まって向かい側のビルの写真など撮って、振り返るとびっくりするような黒山の人が集まっていて、ぼくたちの一挙一動を見守っているのだ。
 
おもしろそうなものがあるに違いないと百貨店に入り、うろついていて、すこしレトロなバイク用の防風めがね、や、裏皮に耳当てがついた帽子などを買い求め、帰ろうとすると、これまたびっしりと囲まれ、この変な外人どもが何を買っているのかじっと見ているのだ。

はがき大の周恩来の織物、ワッペンのように使う?

防寒用帽子、誠に暖かい

完全に大スターになった気分だ。
大スターになったのは人生この時だけだ。

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