1980年3月 ロンドンに長期滞在|ぼくの海外広告アドベンチャー時代

1980年初めころ、当時ロンドンに駐在事務所がありその人の任期が終わり、その後に人を送って駐在事務所を継続するかどうか、の問題が生じたらしい。

RA-G長から、「広告宣伝部隊として、そこに駐在する事が役立つかどうかチェックして来い。」との話があった。CISA撤退後の体制とか、新市場欧州への対応とか、の問題だろうと思った。

そうして、まずエジプトでモーターショウがあるから、との話があり、営業のエジプト担当ZS氏と共にエジプトへ向かった。よく知らなかったがエジプトのディストリビューターには問題があったらしい。トラックだけの販社なのだが、資金繰りに困っているなど経営的に苦境にあるらしい。

モーターショウもさることながら、販社は傘下のディーラーを集めてコンベンションなみの集会を開き、ぼく達も参加したが、そのエンターテインメントの最中来るべきベリーダンスのダンサーが来ず、金払いが悪いので来なかった、との噂である。

まだまだCISA撤退後時間は経っておらず、どのようにこれら海外の販社に対応すべきかが、確立していないようで、2つほど年下のZS氏は私に、「ぼく達営業は、これらの販社にどのように対応したらよいのでしょうかね?」と問う。いろいろな人に聞いているのだろうと思った。私は非常に当たり前と思われる事を答えた。

営業は販社に対するM自動車の窓口に当たるのだから、販社の希望や不満などを引き出し、解決すべき問題があれば、M自動車内部に向かって解決を図るべきだし、一方、営業の仕事は担当市場から利益を上げることだから、市場を良く知り、販社の状態も良くチェックし、サポートし、パフォーマンスを上げる努力をし、それでもこの販社では希望が持てないとなれば、首を切って新しい販社を設定する、などが基本ではないか。

こんなアドバイスでもZS氏には、取りあえずすっきりしたらしかった。

エジプト滞在中、うまく土日が出張日程に入ったので、一人で博物館とギザのピラミッド見物に行った。もちろん、この絶好の機会を逃すことはあり得ない事だった。雑然とした街中も魅力的だった。

そうして、ZS氏と分かれて、私はロンドンに立った。

5月末まで、約2か月半をロンドンで過ごしたことになる。ロンドンにはA通の駐在事務所(基本的にM自動車の仕事がメイン)があり、WSさんと言う女性が所長をしていた。
事務所はWS所長さんとコンサルタントである元CISAのクーパーさんの二人である。長い滞在になるので、ホテルを引き払って、クーパーさんの住んでるマンションで別の空室を借りた。

まずはWSさんから「せっかくのロンドンだから、英会話学校へ通ったら良い」と言う事で、私もこのチャンスを逃すと将来ヤバイかも、とエジプト出張時も痛切に感じた英語能力不足を解消すべきと決心した。その時、費用は頭になかった、何となく会社費用だろうと思っていた。

歩いて行ける「ベルリッツ」へ。マンツーマンで、1回30分くらいだったか?ようやく何とか聞き取れたり、反応できるようになった。感謝である。

WSさんに連れられて、ベルギーの印刷会社へ行ったり、各販社を回ったり、土日にはロンドンを朝から1日中歩き回った。ロンドンには詳しくなった。

さて、RS-G長にはどう返事するか?駐在するとなると、ぼくが駐在する事になるが、正直言うと、ここに一人いても仕事にならない、と思った。ぼくが一人で広告活動に資するのは難しい、A通の実働部隊もおらず、一々本社に伺いを立てたり、実際の広告制作の現場から離れて様子もわからず、単なる連絡係になる可能性が大きいと思った。
実は、出てくる前カミさんに「ロンドン駐在もあるかも」と期待させていたのに可哀そうとは思ったが、まだ本社で活動すべき段階だと思い、そのままRS氏へ伝えた。で、英国駐在はボツになった。

でも、何とか仕事ができるレベルの英会話力ができたのは、助かった。

費用は、どうやら計算すると、100万円を超えているらしい、WSさんの私への英語推奨も費用の事を考えていなかったらしく、WSさんは一時立て替えるから、無利子で10年単位で返して、などと気を使ってくれるが、ぼくも費用は会社持ちだろうと、確かめなかったのは言い訳しようもなく、困っていたら、どうやらRS-G長が海外本部長に話して、「やっちゃって、役に立ったのなら、しょうがないじゃないか。」と暖かい言葉をもらって、めでたく教育用の会社費用となったのでした。

 

 

 

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