1982年4月 ナイジェリア: 3度目の訪問: 本番|ぼくの海外広告アドベンチャー時代

アイボリー・コーストでの西アフリカ・新車プレビュー・ミーティングを無事終え、西ドイツへ飛んだ。西ドイツではECディストリビューター会議を開き、現在懸案になっているCI(Corporate Identification)の基本的な考え方を説明し、年末までには詳細な説明を行う、と約束した。
(CIについては別途)
 
そして、再び、4月13日ナイジェリアへ。今回が本番である。勇躍、懐かしのナイジェリアへ入る。
全国ネットワークを持つ2つの大ディストリビュータであるSCOA社とLeventis Motor(LM)社を持ちながら、なかなか販売が伸びない状況とそのための計画をまとめてみると、以下と思われていた。
 
A:不振の原因
1.これまでの不具合とスペアパーツ不足の悪評。
2.SCOA、LMで扱われていることが未だ浸透していない。
3.SCOA/LMの支店レベルでM車販売の体制が十分でない。
 
B:プラン
1.SCOAとLMのディーラー拠点を使って、大口ユーザーを招待し、M社本社から来た日本人が、M社を紹介し、スペアパーツの豊富さをアピールし、特典を与えて、販売する、と言う王道的キャンペンをプランした。
2.最初の拠点として、首都ラゴスからちょっと北のナイジェリア第2の都市、イバダンにて行う。ここは大市場なのに極端にシェアが低い。ここをサンプルにキャンペンを行い、結果をチェックし、要すれば修正などしながら、引き続き全国に展開する。
大口ユーザーの招待日は、SCOA4月20日、LM4月21日。
 
プログラムは、
1.ディトリビューターの代表挨拶
2.M社側代表による挨拶(M商事IM氏)
3.M社のPR映画上映
4.スペアパーツ在庫、サービス施設の見学
5.L300ミニバスのスライドプレゼンテーション
6.ディスカウントなどスペシャル・オファー
7.懇談=軽食提供、商談

他のメーカーの車を排除してM自動車メインの雰囲気

大口ユーザー、顧客は前列にならぶ。

 

ものすごく旧式のスライドを操る私

店頭を飾るバナーなどの通関が遅れ、イバダンに到着したのが前日となり、ヒヤヒヤ、それまでM社の看板などないところに取り付け、ホンダのバイクやメルセデスや、他の車を全て倉庫に移動し、セールスマンなどにM社のハッピを着せ、またたくまにM社一色に塗り替え、パーツ倉庫のパーツ一つ一つにMマークのステッカーを張り一目で分かる様にし、なんとか間に合った。
 
そして当日、事前に100ー150通の招待状が配られ、それぞれ50名、70名が出席、悪くない。
座っているお客さんを見てると、みんな迫力あるなぁ、と感じる、前列には大口ユーザー、その後ろは2番手のユーザー、とか仕切られている。
 
後で教えてくれたのだが、ディストリビューター挨拶では、日本人の出席を紹介し、「あんたら、日本人がバカじゃないのは知ってるだろう。彼らがわざわざ、あんたらが未だ行ったことがない日本から来てくれたんだ。もちろん、私らもバカなことはできない。・・・」などと始めてたそうだ、なかなかおもしろい。
 
結局この回は12日間滞在した。
で、キャンペンは成功したのか?
このキャンペンだけならば、取りあえず、このくらいは当然だろう、と言うレベルは達成したので、失敗ではない。
つまり、このキャンペン前の販売実績は2社で、
1月 2台、 2月 12台、 3月 2台
に比して、この4月のキャンペン期間10日間で、52台。
 
問題はその後だし、他の販売店に展開してどうか?だが、ぼくたちは帰っちゃったし、ナイジェリア自身が石油が出たことで無計画に借金して、超赤字国家になってしまい、自動車なども輸入禁止などの規制を受け、M自動車が目論んでいた生産工場も反故になってしまったのです。
そうして、ナイジェリア騒動は一気にしぼんでしまったようでした。
 
 

コメントをどうぞ

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください