1982年3月 ナイジェリア:2回目の訪問:準備|ぼくの海外広告アドベンチャー時代
最初のナイジェリア訪問から約1年が経ち、それからも多分いろいろな事があったのだろうと思うが、いよいよ現実に部品などが準備され、現地に届き、キャンペンの実施の段階に至った、と言うことだろう(その間の事は余り覚えていない)。
私としても、その1年間で、サウジアラビア、タイ、パキスタン、ナイジェリア(これはトラック関係で別件)、ペルーでのディストリビューター・コンベンション、フランスのニース(多分これはF1コースの下調べ=新型車の試乗会をF1コースでやろう、と言う考え方だった、と思う )などかなり忙しく働いていた。
そうしてまたも恐怖のナイジェリア、しかも今回は1回の出張でナイジェリアに1度入国し、欧州へ出国し、後もう一度入るという2度入出国を行う、と言う営業やサービスもやらないような過酷なスケジュールなのだ。さらに言えば、この時の海外出張はぼくの出張歴でも最長のスケジュールだった、約40日間(3月18日発日本、4月25日着日本)、アフリカとヨーロッパをうろついていた。
つまり、
3月22日ー27日 (1度目)ナイジェリア=キャンペン準備
3月28日ー4月3日 アイボリー・コーストでの西アフリカ・新型パジェロ・プレビュー・コンベンション
4月5日ー6日 西ドイツでのECディストリビューター・ミーティング
4月7日 スイスMAAS社との打ち合わせ
4月13日ー23日 (2度目)ナイジェリアキャンペーン実施
3月22日ー27日 (1度目)ナイジェリア=キャンペン準備
3月28日ー4月3日 アイボリー・コーストでの西アフリカ・新型パジェロ・プレビュー・コンベンション
4月5日ー6日 西ドイツでのECディストリビューター・ミーティング
4月7日 スイスMAAS社との打ち合わせ
4月13日ー23日 (2度目)ナイジェリアキャンペーン実施
第1次ナイジェリア:準備
4月20日から1週間をキャンペーンの期間と決めたので、その準備と現地ディストリビューターとの協議のためナイジェリアへ。
キャンペーンは初日にそれぞれのディストリビューターが主催する説明会に地域の有力者、車を扱うディーラーなどを招待し、M車と車を紹介し、その後スペアパーツ倉庫の見学軽食を振る舞い、特別価格などの特典を紹介して注文を取り付ける、手順である。そしてその後約1週間同様の特典を宣伝し、販売を盛り上げる、算段である、まあ極く普通の王道的やり方と言える。
4月20日から1週間をキャンペーンの期間と決めたので、その準備と現地ディストリビューターとの協議のためナイジェリアへ。
キャンペーンは初日にそれぞれのディストリビューターが主催する説明会に地域の有力者、車を扱うディーラーなどを招待し、M車と車を紹介し、その後スペアパーツ倉庫の見学軽食を振る舞い、特別価格などの特典を紹介して注文を取り付ける、手順である。そしてその後約1週間同様の特典を宣伝し、販売を盛り上げる、算段である、まあ極く普通の王道的やり方と言える。
その様な当日の進行プログラム案を各ディストリビューターに提示し意見を言わせ、調整し、来るべき4月20日のXデイに向け、ディストリビューターと当方それぞれの役割分担を明確にし、日本から送っているキャンペン用の各店舗の装飾品の通関、各招待客への招待状の準備、当日の店舗の作り方(各店舗はいろいろな車、バイクなども扱っているので、全てその1週間は追い出してM車のみ展示とか)、映画上映のためのスクリーン、スピーカー、アンプの手配まで、全て一覧表にして、それぞれの分担責任を明確にする、すべて私自身でタイプ打ちして、配布し、説明し、理解を求める。
シンプルで、現地センスで、問題ない。
新聞広告では、もっと多くの情報が記載される。
(三菱のベースボールマークの地色が黄色になっている、誤りである)
一方広告代理店のADMARKとも事前に入手していたデザインを元に、広告の露出予定表、チェックなど念入りに打ち合わせる。
そうして、大丈夫、との感触を得て、次の目的地アイボリーコースト(コート・ジボアール)の首都アビジャンへ向かう。
ナイジェリアを西方向へ飛び立つとナイジェリアは一面の砂色だ、そして、ベナン、トーゴ、ガーナを横切り、アイボリー・コーストへ、眼下は一面の緑色に変わる、A通のOM氏は英国人のクーパー氏に皮肉を言い始めた。
「クーパーさん、お宅(英国)の統治したナイジェリアの茶色の大地とこのフランスが統治したアイボリー・コーストの緑の大地、どうしてこんな違いができたのでしょうね。」
しばらく、考えていたクーパー氏は、いつものしかめっ面をしながら、「そもそも・・・・・」と始めるが、何の根拠もないようなでっち上げの英国擁護の戯言なので、すでにOM氏は関心を離れ、アイボリー・コーストの緑に見とれているだけだ。
「クーパーさん、お宅(英国)の統治したナイジェリアの茶色の大地とこのフランスが統治したアイボリー・コーストの緑の大地、どうしてこんな違いができたのでしょうね。」
しばらく、考えていたクーパー氏は、いつものしかめっ面をしながら、「そもそも・・・・・」と始めるが、何の根拠もないようなでっち上げの英国擁護の戯言なので、すでにOM氏は関心を離れ、アイボリー・コーストの緑に見とれているだけだ。
僕たちはこのアフリカの緑の大地で、初めて海外での新車プレビュー・ミーティングを行う。