大雪の、サラエボ脱出   1984年

国内広報部から来ていたMN氏から電話を受けたのは彼がサラエボを離れるためにバスで出かけた翌日の朝だった。てっきり、もはやサラエボを離れて、ドイツからの電話、と思ったのは大間違いで、ザグレブの空港の近くの小学校からだと・・・。
電話によると、つまりその日の朝、サラエボ空港は大雪のため閉鎖され、まだ使用可能のザグレブの空港へ向けてバスに乗り、出発したのだが、ザグレブの空港も閉鎖され、その近くの小学校で避難の一夜を過ごしたというわけだ。
そして、現在のところ、ザグレブ空港がいつ再開され、そしてどのような飛行機でユーゴスラビアを脱出できるか不明との事。
ぼくたちには彼らのために何かをするすべもなく、「幸運を祈る」としか言えない。

このサラエボも大雪が止まらない。ものすごい雪が冬季オリンピックを覆う。
ぼくたちもこのサラエボを脱出できるのか。永遠に雪に閉じ込められるイメージが浮かび上がる。

そうしてぼくの番になった。
MN氏の空港閉鎖事件から1週間ほどして、着任から1ヶ月ほどを過ごしたサラエボで、オリンピックの開催前からの準備と、会期に突入してからの立ち上げを終え、後半を同じグループの先輩NGT(仮名)氏にバトンタッチした。今回引き上げるのは私だけだ、他のA通のスタッフたちはオリンピック終了までいる事になる。

しかし、当日、またもや、サラエボ空港を雪が襲う。

幸いサラエボ空港はこの降りしきる雪の中でも閉鎖はされていなかった、しかし、ぼくの予約したルフトハンザは到着していない、到着していないという事は、先が全く読めない事だ、引き返してもロクなことはない、ここで一夜を明かして、飛行機の到着を待つか?引き上げてホテルへ舞い戻るか、一度なくなったホテルの部屋を確保するのは簡単じゃないし、既に去ると決めた場所にできれば返りたくはない・・・。

空港でウロウロ迷っているときに、声をかけてくれた人がいる。

「おーい、何してんだ、こんなところで・・・。」
「予約していたルフトハンザが来ないのだ、困ってしまった。」
「俺たちは、もう直ぐここをでて、デュッセルドルフに行く、よかったら乗っけるぜ。」
彼は2、3度しか口を利いた事がないけれど、同じスポンサーとして近くに店を開いていたアメリカの飛行機会社パンナム(今はもう無い)の男だった。
自分たちの飛行機でこれから欧州に脱出する寸前だというのだ。

「サンキュー・ベリーマッチ、インディード、お願いだから載せてくれ。」

出発寸前のパンナムに滑り込みセーフで乗っけてもらい、そして、深い安堵の中に、清潔な飛行機のシートへと入り込んだ。

“さらば、サラエボ ”

降りしきる雪の中、パンナムのジャンボはゆったりと離陸した。
なんという幸運だろう。拾ってもらわなかったら、大変な苦労をするところだった。日頃の自分の行動の正しさと善良さのお陰だと、深く自分に感謝した。

この後、時間が経つと、きっと空港閉鎖になる、と感じながら、深く眠りに落ちた。

 

 

 

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