『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』 ⑬ 重箱の隅突っつき問題は?
KENさんのお話をお聞きし、もう一度、あの「重箱の隅を突っつくような問題」=「ジャズ喫茶としてパラゴンを最初に導入したのは、ファンキーかビッグビートか?」という問題についてもある程度の絞込みが出来た気がします。
残念ながら、ビッグビートへのパラゴンの設置の日に偶然にも立ち会った奇跡的経験を持つKENさんも45年前の事とてその時期を特定する事はちょっと難しい、との事でした。
ただ、これらの情報と、ファンキーの野口伊織氏のHP「野口伊織記念館」での情報を合わせると、次のようになると思います。
年 ビッグビート ファンキー
(以下SJ=スイング・ジャーナル、SP=スピーカー)
1965 6月10日 開店 SPはタンノイ 最初のファンキーは1960年に開店
1966 1966年のどこかで新規開店そして地下
スペースにパラゴンを導入
1月
2月
3月
4月 SJ4月号ルポ(SP=タンノイ)
5月 SJ5月号最後の広告(SP=タンノイ)
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月 広告によれば12月1日(左端上から2つ目)
パラゴンを公開すると予告している
以上でわかる事は、
1)SJ(スイングジャーナル)のビッグビートのルポ、最後の広告(5月号)ではSP(スピーカー)はタンノイであり、未だパラゴンではない。KENさんによれば、最初のタンノイからパラゴンへの移行の間には途中JBLオリンパスへの移行があり、その後パラゴンに移行している。
2)ファンキーは1966年の12月1日にパラゴンをファンキーで披露している(と考えてよい)。
3)つまり、ビッグビートが日本で最初にパラゴンを導入したジャズ喫茶になるためには、1966年6月から11月の半年間で、タンノイから、JBLオリンパスに移行し、やはり不満を感じて更にパラゴンの導入まで実行しなければならない。かなりきついスケジュールであり、普通考えるとありそうにない。
従って、どうやら、ここではやはりパラゴンを日本で最初に導入したジャズ喫茶という栄誉(?)は野口伊織氏のファンキーへ与えなければならない可能性が強い、と言わざるを得ないと思います。
もし、これを覆す事実があるとすれば、今のところ、次の場合です。
a)KENさんがパラゴン設置の日を思い出し、それが、1966年12月1日以前であった場合。
b)私自身が、最初にビッグビートに行った時が、1966年12月1日以前であった場合。(私が最初に行った時既にパラゴンであったから)
どなたかまたビッグビート関係者が現れるとうれしいのですが・・・。
<本日の最終の疑問:ファンキーの広告「12月1日に公開」とありますが、その前のフレーズ「東京に初登場」があります。東京以外では、既にあった、と思っても良いと思います。ただ、それがジャズ喫茶を想定しているのか、他の何かの機会を言っているのかはわかりません。もし、ジャズ喫茶ならば、日本最初としようとしたのに、他にもっと早い店があった、事になってしまいます。>
記憶が悪くてすみません。オリンパスの期間は結構短かったのですが(でも半年ぐらいはあったかな?)、タンノイは、どう少なく見積もっても一年以上は続いていたような気がするので、やはり66年の12月は無理かも知れませんね。いずれにしても大幅に差がつくということではないように思います。
私もどうしてもビッグビートに行き始めた時期が特定できません。1966年12月は私が2回生になり8ヶ月経った頃、まだジャズを知らなかったのだろうか?