『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』 ⑫ KENさんのお話(下)

以下はこの一連のビッグビートの記事にコメントをいただいたKENさんのお話の続きです。
イラスト、写真などの追加、< >で書かれた部分は私Takashiが追加したものです。
また、3つほど前の記事、『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』 ⑨ ビッグビートのルポが!!の最後尾のコメント欄もご参照下さい。
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(4)ビッグビートのスピーカーの変遷

マスターは本格的なオーディオマニアだったに違いないのですが、私はその話題でマスターと言葉を交わしたことは一度もありません。オーディオはあくまでジャズを最高の環境で味わうための「手段」であり、決して「目的」ではないという思想を暗にマスターの雰囲気から感じ取っていましたから。そういう意味では、純粋に、再生された音楽を集中して聴くためだけの、まさに「純ジャズ喫茶」だったわけで、そのためには「レコード」と「再生音」には徹底的にこだわるが、単なるオーディオ談義などは無用ということだったのでしょう。

 

今や伝説と化してしまったビッグビートのパラゴンですが、開店当初からしばらくの間はタンノイのモニターレッドというユニットを国産の箱に入れたスピーカーが使われており、それがまたタンノイとは思えない闊達・歯切れのよい音で気持ちよく鳴っていました。その後JBLオリンパススS8Rが導入されましたが、すぐにJBLパラゴンに替わりました。これはマスターが追求していたジャズの音の方向性から考えると必然的な推移と帰結だったのではないかと推察しています。また、アンプもサイテーションからマランツとマッキントッシュに替わりました。

 

タンノイからオリンパスに替わった時は、中高音の緻密さとドラムの切れの良さが格段に向上し、さすがジャズはJBLと感心しました。しかし、はるかに驚いたのは、オリンパスからパラゴンに替わった時で、音の緻密さと鮮度感、衝撃音の迫力、低音の質感等、すべてが別格でした。タンノイとJBLはまったくポリシーの異なるメーカーですから違って当然ですが、オリンパスとパラゴンは同じJBL、しかもSPユニットもまったく同じなのですから不思議でした。


<ビッグビートは 小さな市場の2階にありました。この外付けの階段を上って行きました。>

(5)何故「伝説の音」なのか?

ビッグビートの音が伝説となったのは、それが単に「パラゴン」で括ることができるような音ではなく、「ビッグビートのパラゴン」の音という、まったく別次元の音だったからです。

 

そういう意味では、あの時代にビッグビートに通うことができたジャズファンは、「ビッグビートのパラゴン」の音を体験できたという点で貴重な経験をしたと言えるのではないでしょうか。オーディオマニアの中には、パラゴンの音をけなす人がいますが、気の毒なことだと思います。だって、「パラゴンが本当はどんなに凄い音を聴かせてくれるのか」を知らないのですから。

 

後にビッグビートがなくなってしまった時、その喪失感を埋めるために、しばらくの間私は散々パラゴン喫茶巡りをしましたが、少なくとも私の訪ねた範囲では、低音がかぶった冴えない音や高域がきつい音(あくまでビッグビートと比較すれば相対的にそういう傾向があるということであって、必ずしも音が悪いということを意味しない)など、別物と言ってもよい音しか聴けませんでした。

 

パラゴンは、その性能をフルに引き出すのが困難という点において、一般市販のSPの中では最右翼に位置するスピーカーですから、それも仕方がないのかもしれません。ビッグビートはそれを十分に鳴らすのに成功した数少ないジャズ喫茶なのでしょう。もっと言えば、マスターが、神がかり的にパラゴンの能力を限界以上に引き出していたジャズ喫茶だと考える方が私には納得がいきます。

 

トランペッターの近藤等則氏も当時ビッグビートの常連でしたが、その音の凄さを的確に表現した文章を何かの雑誌(雑誌名もその表現も失念、恐らくジャズ系の雑誌)に書いておられ、さすがに音楽家の視点は違うなと感心したのを記憶しています。

 

(6)「ビッグビートのパラゴン」の音

では具体的にどういう音だったのか?

 

パラゴンをけなすときに一般的によく言われるのは、「寝ぼけた音」、「ライオンが洞穴の奥で吠えているような遅い低音」、「ピアノがキャンキャン耳につく」などですが、ビッグビートの音を聴いたことのある人なら「え? どこが?」と訝しがるでしょう。骨格のしっかりした歯切れのよいベース、唸りが目の前に迫ってくるシンバル、トランジェント抜群のピアノの音等、すべてに渡って冴えわたった音でしたし、特にドラムの切れと迫力、各種楽器の音の質量感、実体感の凄さは、ビッグビート以後、私はどんな種類のスピーカーでも体験した覚えがありません。

 

オーディオにおいて一般に、「いくら特性を向上させても生の音を再現するのは不可能」と言われますが、それはそのとおりだと思います。しかし、まったく生とは違う方向性にもかかわらず、頭の中に、「生より生々しい」というイメージを植え付けるような音を出すことのできるスピーカーというのがあると思います。これはどういう音楽も万遍なく鳴らせることを前提とした万能型スピーカーでは無理で、特定のジャンルの音楽における特定のスピーカーという図式になるのですが、「ジャズにおけるパラゴン」がまさにそれです。

 

それにはパラゴンの、フロントローディングホーンと湾曲した反射板という、あの独特の形状も関係しているのではないかと思っています。その結果、ステレオ録音であろうがモノラル録音であろうが、あまり差を感じさせることなく独特の凝縮された音場を形成するのです。すなわち、現代スピーカーの持ち味である、フワッとした音場や音の前後左右の広がりとは対極に位置し、質量感と密度感に溢れた音の塊を浴びせかけてくることができるのです。

 

ということで、パラゴンは決してカッコだけ、見かけだけのスピーカーではありません。あの、見ただけでほれぼれするような形状には、スピーカーの機能という点でもしっかりした理念があり合理性があるのです。そしてそれを身をもって証明してくれたのがビッグビートなのです。

<パラゴンの姿です>

(7)ジャズにおける「ビッグビートのパラゴン」

最近、昔の名器であるハーツフィールドやパラゴンも視野に入れてJBLが本気になって作った “Project EVEREST DD66000というフラッグシップスピーカーが人気ですが、確かにあらゆる点で優秀なスピーカーだと思います。しかしジャズの再生に限って言えば、音楽の受け手にとって必須の、迫ってくる音の実体感、体で感じる音の質量感と密度感という点で、私はためらいなく「ビッグビートのパラゴン」の音に軍配を上げます。ただし、あくまで「ビッグビートの」という注釈を付けなくてはならないのですが。

 

すなわち、現代のスピーカーが得意とする全体的なフォーカスやサウンドステージの代わりに、個々の楽器の音が、生とは別の生々しさ、鮮明さで迫ってくる、その音の質量を、耳を含めた自分の体の質量で受け止めることによって、ジャズに没入せざるを得ない刺激が生み出されるのです。

 

これはライブとは方向性の異なるジャズの楽しみ方ですね。例えばあの頃、マイルスやコルトレーンのライブを聴くチャンスは滅多になかったけれど、そして彼等が死んでしまった後はそれも不可能となってしまったけれど、音を介して「マイルスやコルトレーンの演奏と自分との相互作用」が感じられるような再生ができたなら、それはジャズを楽しむ者にとって最高の贅沢でしょう。パラゴンはそれを与えてくれる能力を持っていたスピーカーであり、ビッグビートはパラゴンをその次元まで高めてくれたジャズ喫茶なのであると思っています。



<スイングジャーナルの取材におけるビッグビート内部のイラストです。この時、まだパラゴンは導入されていませんでした。>

(8)ビンテージスピーカーとしてのパラゴン

ビッグビートにパラゴンが導入された1960年代の後半は、パラゴンの全盛期であり、マスターは、その時期に、活きのよいピカピカの新品を購入したのです。しかもあっという間にそれを手なずけてしまい、魔法のような手腕で、その能力の凄さを見せつけてくれたわけです。

 

一方、今手に入るパラゴンは、ビンテージスピーカーの宿命とも言える弱点、すなわちユニットの劣化という問題を抱えており、ウーファーのエッジなども張り替えられてしまったものが多い。にもかかわらず、最近もパラゴンの人気は衰えておらず、これを置くジャズ喫茶も増えていく傾向にあります。でも、昔の基本性能さえ望めないのですから、往年のビッグビートの音を望むのは不可能です。ビッグビートの音が文字通り伝説化してしまった所以です。

 

もちろん今のパラゴンにはビンテージとしても別格の音の魅力があります。こんなに鳴らすのが難しいスピーカーと、今も必死に格闘しているパラゴンオーナーには敬意を表したいと思います。

 

(9)おわりに

昔ビッグビートに通った仲間と、何年か前、一緒に飲む機会があったのですが、「あのシンバルの音をもう一度聴いてみたい」とか「あの髭のマスターは今どうしているのだろう」という話題で盛り上がり、ビッグビートをそういう視点から懐かしく憶えているのは私だけではなかったのを知って、少々嬉しい気分になりました。

 

その後、そんなことも忘れていたのですが、ごく最近このブログを見つけ、ブログ主のTakashiさんもお仲間だったことがわかったわけです。常連は必然的に店で顔を合わせることも多く、私とTakashiさんも実はお互いに顔ぐらいは知っていたのかも知れません。でも、ひたすらジャズを聴くことだけに専念していた常連は、お互いに知り合いになる必要はなかったですね。

 

ビッグビートのあった市場は小さく、建物も頼りない造りだったので、歩くだけで床がかなり揺れました。そんな環境でどうしてあんな音が出せたのかは今でも謎です。というよりも、どんなに恵まれた環境であっても、あの音が出せれば驚異的と言わざるを得ないのですが。

 

色々な意味で桁外れだったこの店を憶えている人、そして懐かしむ人はきっと他にもいると思います。私の駄文がきっかけとなって、今や忘れ去られようとしているこの伝説のジャズ喫茶を思い出してくれる人がいるとするならば、こんなに嬉しいことはありません。

<以上>

 

『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』 ⑫ KENさんのお話(下)” に対して1件のコメントがあります。

  1. morimoto より:

    突然ですが、KENさん宛てです。KENさんとやり取りしたのは、既に10年以上前ですね、このコメントがKENさんに届くのかどうかわかりませんが、取りあえず記します。このジャズ喫茶のブログもかなり長いので、一旦まとめてキンドルの電子本にしたいと思っています。その折、KENさんのコメント、或いは寄稿は重要部分と思っており、記載したいと思います。但し、著作権がありますので、KENさんの同意が必要です。どうでしょうか、記載はOKでしょうか?この文章が眼に止まりましたらご返事いただければありがたいです。

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