続:あの大槌のジャズ喫茶「QIN クイン」が復活していた |65歳からアートを作る

思い出話になってしまいます。

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2011年の1月19日(約2か月後に大震災)に旧「Qin クイーン」(どうも皆がクインと言ってる気がしますが、お店の看板は「クイーン」ですよね)に行き、約3時間を他のお客無し(誰も来なかった)で、マスターと、下北沢マサコの話、新宿の都庁ができる前の空き地でマイルスの野外コンサートに二人ともいた事、など、カウント・ベイシー楽団を招聘した時の苦労話、などで盛り上がりました。
その時おられた娘さんについても、以下のような会話をしています。

(当ブログの記事から引用)
「まあ、私でこのクイーンも終わりです。」
「お店に出ている娘さんがいるじゃないですか?」
「娘はクラシックなんですよ。」
「うーん、クラシックをころっと転向させるようなジャズ男を何とか捕まえて来たら、どうですか?」
「でもねぇ、沖縄、九州など遠くからもいなかった事は無いのだけど、・・・ねぇ・・・。」
(ちょっと言葉は正確ではないですが、微妙なニュアンス・・、ダメみたいですね。誰か、いないですかね?)
――――――――
バスで移動する話をすると、マスターは娘さんに、バスの時刻を確認するように言って、それから「お送りしましょう。」と言って、近くのバス停まで送ってくれた。
途中、手袋を落とし、娘さんが拾ってくれて、ところがバス停まで来ると、また手袋が無い、そういいながら振り返っても見当たらない、そのまま乗ったがやはり手袋はなかった、どこで消えたのだろう。カミさんの叱声が頭の中で聞こえる。
―――――――――――
バスに乗ると、マスターは外から「あれ、うちのカミさんだ。」と叫び、「これがうちの奥さんです。」そのバスの入り口側の席に座っている女性に「どうもこんにちは。」(しかし、向こうからやって来て、自宅前のバス停を過ぎて、どこに行く?)
そして一路釜石へ。

この記事に対してお孫さんよりのコメント
実はばあちゃんは
震災で亡くなりました。
でもこの話を聞けて
嬉しいよーな懐かしく
涙がでてきそーです…

同じお孫さんからのコメント

私は大槌町喫茶クイーンの
マスターの孫です。
今マスターは花巻で必死で
頑張っています!!
私はマスターの娘の次女(私の母)
と大槌町で暮らしてます。
こんなに私は自分のじいちゃんが
人から愛されてる事が嬉しいです。
本当にありがとうございます。
いつか皆さんから頂いた
たくさんの支援に恩返しできるよう
1日でも早く喫茶クイーン再建を目指し
頑張ります。
まだまだ時間がかかるけど
どーか喫茶クイーンをお願いします…

と言う事で、何もしなかったけれども、行かなくてはならないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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