シノケンが亡くなった|65歳からアートを造る(今77歳)
先日の新聞を見て驚いた。シノケン(篠崎健次郎)が亡くなった。すい臓がんだそうだ。
もちろんそんな親しい間柄ではないが、同じ会社で、パリダカ絡みで、接触はあった。
写真は、1992年、初参加から9年で総合優勝した時(シノケンが優勝したのではない、チームが総合優勝した。シノケンは三位?くらいだったかな??シノケン自身が総合優勝したのは5年後の1997年だった)の、ゴールの南アフリカ、ケープタウンでの祝勝場面。
左端が「夏木陽介」その右に私、その右が「篠崎健次郎」、どうやらシャンペンを私のグラスに(或いは夏木氏のグラス)注いでくれている様子?です。
(私はその時、海外企画室広告宣伝グループ員として、パリで、パリ・モーターショウを設営していて、優勝しそうだと知って、設営終わって直ぐにケープタウンに向かった)
よく考えると、ほんの一時期だが、組織上、ぼくの部下になった事もあった。
海外本部海外企画部広宣グループのグループ長がぼくで、下に、シノケンの机もあった、殆ど来なかったけれど。
その時期、NHKが取材に来て、シノケンを一般的な社員として紹介しようとしたみたいで、女子社員がお茶を運ぶシーンとか、ぼくへのインタビューなども録画したが、実際のTVではカットされていた。
一度どこかの砂漠辺りで横に乗っけてくれて、ラリー走りをしてもらった、ものすごいスピードでシフトとアクセルを操作する様に驚いたものだ。
三菱自動車ではラリー活動を止めろと言われて、つまり、管理職みたいな事をせよ、と言われたのだろう、それを嫌がって会社を出た、とも聞いた、シノケンらしかったね。