8日目(2)ティレリ出発、午睡のオアシスへ|ドゴン族の村へ、自然と文化のダブル世界遺産にアートを求めて

3回ほど、横道にそれました。旅の続きです。

ティレリの我々の宿を出発して、歩き始めると、昨夜遅くまで太鼓が聞こえてきた村の方を通ります、また、今日も朝からドラムの音が聞こえ、ダンスを行なっている様子が推察されます。

そして、他の村の入り口にはバスが止まり、団体客が乗り込んでいます。このような集団では、ダンスが少々高かろうと、問題ありません(1回の価格は1人でも100人でも同じです)。でも、やはり、バスでゆっくり来て、ダンスを見て帰る、旅には疑問をいだかざるを得ません。

そうして、村を離れ、また、テクテク、テクテク、と草原を歩きます。
やがて、本日のランチ、休息場所にやって来ました。崖の下の村ではなく、平地に広がるオアシスのような場所です。こんな所もあるのだ、まるで、砂漠のオアシスの感じです。
(何しろドゴンの地域を抜けるまで、充電できる設備が皆無なので、カメラの電池の限りなので、カメラで撮る枚数を極力少なくしています。電池に対して考えが甘かったです。)

実際はもっと緑が多くて、横になれる椅子があって、ビールを飲みながら、うとうとと木陰で昼寝をしました。写真がこの一枚だけでした。

ここには、木陰とゆったりした椅子があり、暑さが少しおさまるまで、昼寝をしたりして過ごします。
お土産なども売っていて、このドアもその一つです(ちょっと持って帰れない)。
このドアは一般的に良く見かけるものですが、そもそものドゴンの成り立ちを表しています。

アダマから聞いた話は、次の通りです(ちょっとうろ覚えで、扉の絵と合っていない?)。
8世紀エジプトから4人のドゴン祖先がガーナ帝国へ移動し住んだが、ガーナ帝国では年に1人の処女を捧げるので、それが嫌で脱出、バマコの近くのマテディに至る。そこでも規則が変わって、従わないなら出て行けとのことで、40年ほど住んでいたが出て行く。
そうしてドゴンへ来た。
もっと長い話があったのですが、そして、扉の絵の一つ一つにその理由とお話しがあったのですが、メモしたのは以上でした。

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