1976年 この年にぼくたちはCISAという黒船の実体を見た|ぼくの海外広告アドベンチャー時代

1976年6月 CISAディストリビュータ・コンベンション 東京
まず、その何百台というスライド・プロジェクターがコンピューターのプログラムに沿って一斉にガシャガシャと動き、前の超特大のスクリーンに動きのある映像を写す様に度肝を抜かれた。
こんな事をしなければならないのか・・・?
 
CISA(シサ:Chrysler International S.A.)は販売する権利を得たM車をすでに彼らの販売ネットワークで販売していたが、ラインアップが整うに連れ、M車全体を総合的に紹介し、一層の拡販を計るために、東京で大ディストリビューター・コンベンションを催した。
 
彼らの中近東、アフリカ、中南米のディストリビューターを全て東京に集め、世界中でポピュラーになりつつある日本車を紹介し、彼らの国で一層販売してもらうための説明会、そして試乗会なのである。CISAは日本車を売ることができるようになった事に有頂天だったし、そのディストリビューターも売り易く、人気が出るに違いない日本車を売る事ができるというので、喜び勇んでいるように見えた。
 

(写真は昔のクライスラーのマークです、今とは異なります。ペンタスターと言っていました。)

彼らは大型ホテルの大広間をぶち抜きで借り出し、大型スクリーンを何十面にも区分けし、何百台のスライドプロジェクターで、大きな写真を出したり、動きをつけたり、その壮大なプロジェクターの壁と、大型スクリーンで動き回る映像に、感動した、と言うより、余りの大きな落差に茫然となったというのが正直なところだった。
 
世界各国のディストリビューターを集め、大プレゼンテーションする、という僕たちには全く新しいシーンを見せ付けられた。
 
当然ながら、ぼくたちの仕事は彼らの支援にあり、今回のこのコンベンション活動の中核はこのCISAの宣伝担当(後で関係するクーパー氏)と、それが率いるロンドンの広告宣伝会社だった。
 
CISAのディストリビューター達にとって初めての日本の車へのエンカウンターにCISAはその大画面で、質問と答えの形で全体を作り上げていた、左下側に外人(白人も黒人もいた気がする)のイラスト、右下にちょんまげをした侍が陣取っていた。左の西洋人はCISAのディストリビューターで、質問し、右の侍がM自動車で、その質問に答える。
 
「なるほど、こんな風にわかりやすく、親しみやすくするのだ。」僕たちは一々感心し、それまで僕たちがやって来た、紙に車の特徴を書いたりして、こつこつと僕たちのディストリビューターに解説していた方法とは雲泥の差があった。僕たちもこんな風にしなければならないのか?
 
つまらない数枚の紙を配って、その辺の会議室で、ぼそぼそと新車の説明をして、我々が契約して売らしてやっている販売店に理解させる説明会とはまったく違って、CISAのは、最終的にビジネスとして売り上げが立つために、自分たちが生産した車を実際に市場で売ってくれるディストリビューターの皆様に、わかり易く、インパクトを持って、強烈に、M社の車に自信と愛着を持ってもらえるように、プレゼンテーションする事なのでした。
 
ぼくはまだその時はトラックGにいて、同じ海外企画室として手伝っただけだったが、そのスケールの違い、海外のディストリビューターをどのように扱うか、そして大変なお金を使ってそれを行うこと、などなどに一々驚いていたのだった。
 
とにかく、何百人というディストリビューターが世界の果てからも集まり、エンターテインメントを楽しみ、何百台のプロジェクター(それらは全て中のスライドと共にセットしてロンドンから持ってきた)がコンピューターのプログラムにより生き物のようにカシャカシャと動き、大画面で車が文字が写真が生き物のように動き回ることに度肝を抜かれたのだった。
 
これが世界のレベルなのだ、と初めて知った。
 

コメントをどうぞ

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください