1973年のころ 舞踏の幻想|ぼくの海外広告アドベンチャー時代

いつ頃か、舞踏に興味を持ち始めた。
 
最初のキッカケが何か覚えていない。土方巽自身は見たことがなく、その弟子などの系統の暗黒舞踏と呼ばれる舞踏が頭にへばりつき始めた。
確かアスベスト館とか大駱駝館などの小舞踏団を小さな空間で見始め、段々と手を広げて行った。
大駱駝館の青年館の公演などでは衝撃を受けた。
 
ある年、富山の山奥で多くの舞踏団が集まって舞踏祭のようなものがあり、東京からえっちら富山の山奥まで行ったことがある。2泊くらいしたと思う、ごろ寝だったと思う。
 
多分25、6歳、東京の生活と仕事に慣れて来た頃、大学時代から浸っていたジャズと寺山修司の演劇に頭を占められていたころの事だ。
半裸で舞踏する集団、その一人一人の舞踏手の気持ち、生活、全く先の見えない人生に向かう心意気に間近に触れるに従って、自分の今の安定した生活で良いのだろうかと思い始めるには、ある程度、無理もない。
 
多くの無心に舞踏する自分と同じ程度の年齢の若者を見るにつけ、果たして会社を辞め、これらの集団に没入するイメージが体の周りを浮遊し始める。
シビアな身体の動き、なにを考えているかも知れぬ眼光、しなやかな腕と指の動き、地を這う足裏、・・・厳しいだろう訓練、集団生活、毎日の衣食住をまかなう仕事・・・想像はするが、もちろん飛び込むべきではない、と自制を求める私自身。
 
訓練中の自分、人前で舞踏する自分、精神の緊張、舞踏の進む方向にある神秘の何か、このまま飛び込んだらどうなるのだろうか?
どうせ飛び込むはずがないと自分自身わかりながら、仮人生ごっこ、に興じているに違いない、とは意識しながら、不安定な自分を感じていた。
このシリアスな世界こそが私が求める禁欲的人生かも知れない。
 
しかし、この夢想世界はもろくも崩れた。その富山での山奥で、ある舞踏団の公演をその場のすぐ傍で見ていた時、シリアスな雰囲気の中、突然、相撲で言えば、初っ切り(しょっきり)を始めたのだ。つまり、二人の舞踏家がコミックな動きで、観客の笑いを取ろうとしてしていた。
 
僕にはちょっと衝撃だった、こんな事もやるのか?!
 
ストイックでシリアスな世界を夢見ていたぼくは一気に熱が冷めて、気楽な観客になってしまった。
 

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