1979年(33歳)7月 CISAの突然の撤退|ぼくの海外広告アドベンチャー時代

提携先のクライスラーは1978年ほどから経営危機に直面し、ついに北米に集中するとして、他のマーケットから撤退を決めた。つまり、CISAは解体し、1979年7月、CISAのテリトリー、中南米、中東、アフリカは突然のごとくM自動車に返されたのだった。

それまで、100以上の国でのオペレーションをCISAに任せ、CISAのオーダーに従って車を供給するだけで良かったM自動車は、突然、100カ国以上の国について、自らマーケティングを行い、自前のディストリビューターを設定し、車を受注し、発送し、サービスや部品のオペレーションも自らの責任で行わなければならない状況に至った。

ただ、CISA時代にそれぞれの国でCISAが設定しているディストリビューターが存在しているので、そこと改めて契約を結ぶのが最速の方法であった。一つ一つ吟味し、契約し、不満なら、他のディストリビューターを探して来て、契約する事になる。

しかし、全体として、これはかなり大変な作業である。

まず、ぼくたちにオーダーされたのは、それまでCISAと付き合って、M自動車の車しか知らないディストリビューターたちに、改めてM自動車とどのように取引して行くかを導くマニュアルを制作する事だった。そのためのチームが形成され、ぼくもその一員となり、M自動車の概要、車のラインアップ、オーダーの仕方などなど、更に、サービス、部品、広宣、など各分野ごとにファイルを準備し、それを満たし、先方に送る。なにしろ初めての仕事なので、ファイル・ホルダー選びから大変で、その金具の良し悪しから海外製品でなくては適当なものがないなど、大騒ぎだった。

そうして、次は、営業、配送、広宣、サービス、部品の小チームを構成して、全てのディストリビューターへ派遣し、詳細な説明、先方の疑問などの解消、先方の要望など聞いたり、今後の付き合いのための相互理解、を計ることになった。

ぼくもあるチームに組み込まれ、セイシェルズ、モーリシャス、ケニア、スーダン、モザンビークへの海外出張をすることになった。正直、「アフリカだぜ!」、と少々ビビった。その頃、セイシェルズとかモーリシャスの名前は聞いたこともなかった。

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