1979年9月 CISA撤退のすぐ後に説明のための海外出張|ぼくの海外広告アドベンチャー時代

CISAからM自動車への切り替えを行うためのぼくたちのチームの担当国は、セイシェルズ、モーリシャス、ケニア、スーダン、モザンビークの5カ国、東アフリカの国々、もちろん行ったことはない。

 日程は、9月6日から末ころまでの3週間ほど、メンバーは、営業、業務(オーダーを生産、船積み手配)、広宣、サービス、スペアパーツの5人、営業はグループ長でこのチームのリーダー、あとは主任とかペエペエだ。
 
今でこそ、セイシェルズなどは有名だが当時は全く知らなかった。ちょっと調べると、セイシェルズ、モーリシャスはリゾートとか観光国、ケニアはアフリカでNo.1の近代国、と認識し、問題は、スーダンとモザンビーク、ここでは何が起こるかわからない、と言う感じだった。明らかにぼくたちはビビっていた。
 
しかし、ぼくはその最後の期間に、中国での上海横浜工業展への出店準備があり、モザンビークの前で日本に帰ることになった。他の4人からは、「敵前逃亡」として、厳しく責められたものだ。
 
そうして、まずはセイシェルズ、正にリゾート島で、主として欧州人の高級リゾートホテル、美しい海岸、海、小規模なディストリビューター、説明する。
 
手帳を見ると、日本を9月6日(木)発、到着が同日21時前着となっていて、11日(火)に移動しケニア経由で12日(水)にモーリシャスに到着しているようである。(つまり、確実に、土日をセイシェルズで過ごしている)
 
休日の午後、海岸に出ようと誘ったのに、バーツ担当者だけは、報告書を書く、と言って部屋から出ようとしない。こんな場所で、休みの日の昼間から報告書を書く必要ないだろう、との声にも聞かないで、一人部屋に籠る。

きれいな浜辺

現地の子供たち

 ぼくたちは、バカじゃないの!と言いながら、多分2度と来ないであろうセイシェルズの休日を、海に、プールに、ホテルに、庭園に、満喫した。
ホテルで泳いでいる時、大勢の白人客の中に、フランスの女優ジャンヌ・モローに似ている人を見かけて、本物ではないかとしばらく観察したことを覚えている。
 
 次は、モーリシャスだ。セイシェルズの下の方にあるのだが、直接便はなく、ケニア経由泊で12日水に到着。ここも小規模なディストリビューター。ここで営業ZO氏は悩んでいた。
 
CISAのディストリビューターはパフォーマンスが芳しくなく、別の候補を持っていたのだ。
 
当然だが、真剣にチェックしていた。
モーリシャスはドードーで有名、不思議の国のアリスにも登場する絶滅した鳥です。マッチがあったのでもらって来たが、いまだに、何だか、手元にある。
 
 
ここも完全なリゾート島。
 
15日(土)南アフリカ経由(1泊)で、16日(日)ケニア着、ケニアは実はCISAのテリトリーではなく、例外的にM自動車のテリトリーだった。
ケニアとは経緯は知らないが昔から取引していて、現地でトラックのKD(ノックダウン、半製品を輸出し現地で組み立てた)も行っていた。今回は言わば、挨拶で、状況を説明し、今後も今まで通りどうぞよろしく、と言うだけだったのだ。
 
会社はナイロビ郊外の大きな自然動物園の傍にあり、屋上に望遠鏡も設置されていて、何時でも動物園内の様子を見ることができる。でもこの時は動物園の中に車で入って行き、キリンとかライオンを見た、記憶がある。
 
1日働いて、そして18日(火)夕刻、問題のスーダンに到着した。
 

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