1981年2月 ナイジェリア:最初の訪問|ぼくの海外広告アドベンチャー時代

そもそもこのナイジェリア行きは、海外営業から要請されたものだった。
ナイジェリアに石油が出るようになり、一躍金持ちの国になったナイジェリアには当社を含め多くの企業が商機を求めてたかってきて、ブームになっていた。
当社は一方でイバダンに工場建設をもくろみ、一方で売れ筋の小型バンを大量に輸出し始めていた。

L300とユーザーたち。私の態度はちょっと良くないなぁ。

しかしながら、この車のエンジンが次々と故障し、どこかの道にはその車の死体が累々と続いている、などの話を聞いていた。

その原因は予想以上の細かい砂がエンジンに進入したとの事(調査不足?)。
更に悪いことに、サービス政策の失敗かエアクリーナーも絶対的に不足していて、急場も凌げず、最悪の評判になっているとのこと。
普通の方式は車の下からの空気を吸入するのだが、煙突を立てて上から、つまり砂の少ない所から吸入する方式を採用し、現地での修理を行っているが、今後、エアクリーナーも大量に持ち込む準備をして、リカバリーセールスキャンペンを行いたい、との事である。
 
通常、現地のセールス活動は現地ディストリビュータが行い、必要ならば本社からはその支援を行うのが原則だが、ナイジェリアには2つのディストリビュータがあり、ライバル的に競っているので協力はむずかしい、それよりもっと重要なのは、この最低の評判、最低のイメージになったもののリカバリーにはやはりメーカーが表に出てきてやらなければ、難しい、との判断である。
つまり、この遠隔の地で、日本にある本社が直接的に現場直結のセールスキャンペンを指揮し、実施する、と言うことである。かなりリスクのある仕事である。
 
「わかった、やりましょう。」と海外企画室広告宣伝グループ長(G長)は引き受けた、らしい。
 
取りあえず、海外企画室広告宣伝G長AR氏と広告代理店A通のOM氏とAR氏の部下である私の三人は英国在住の当社コンサルタントであるクーパー氏と合流し、現状を見るためと、現地広告代理店を設定するために、ナイジェリアに飛んだ。現地広告代理店候補としては、A通の海外ネットワークから、ADMARKを選定していたので、実際彼らが使えるかどうかを見極める事になる。
 
当時、ナイジェリアは最悪の評判の国で、つまり危険極まりない状況で、一瞬の油断もしてはいけない、と言われた。もし襲われたなら絶対抵抗するな、とか、宿泊ホテルは鉄格子で閉ざされているとか、・・・。
とは言うものの、営業とか工場建設関係者とか、多くの社員が行き来しているのも事実だ。
 
空港から首都ラゴスに一つしかない高級ホテルまで早速大渋滞、のろのろも動かない、道ばたの草むらに人間の足が見える、「二三日前からあるよ。」と運転手は言う。それでもようやく到着。一つしかない高級ホテルは1泊10万円くらいで、泊まる日数分だけ前払い、その辺りは現地のM商事さんにやってもらう。
 
翌日M商事のオフィスへ行く、高いビルの上層階、早速駐在の人の昨夜の話が出る、夜遅くビルを出て車に乗ろうとすると後ろから突き飛ばされ、カバンが飛び出す、それを誰かがさっと拾い走り出す、追っかけようとすると、運転手の叫び、「追うなー!」。
殺される可能性が高いからです、と。うーん、なかなか厳しい。危険は身近にある。
そしてランチを近くの中華店でとる事となり、その中華店のビルに歩いて行く、エレベーターがある、中華店は8階、「いつもこれで悩むのです。時々、途中でエレベーターが止まります、今日は乗って行くべきか、歩いて行くべきか、と」
その日は無事にエレベーターは動いた。
 
現地で会った広告代理店ADMARKの担当者は30代?の黒人、英国ロンドン大学卒のエリートである。しかし、その社長は、と言うと、生粋のナイジェリア人らしく、英語はいわゆるピジン・イングリッシュで、現地語と現地語化した英語が混じり込んで、私たちには理解できない。
 
私は当時本当に英語が苦手で殆ど聞き取れないが、A通のOM氏は英語も百戦錬磨のはずだが、やはり「何言っているのかわからない。」と嘆いていた。更には、当社広告コンサルタント(元CISAマネジャー)の英国人クーパーさんさえ「わからない。」と行っていた難物だ。
 
ただ一人、上司のRA氏は顔も現地人並にごつい事もあってか、「わかる。」と言う。
つまり、ADMARK社長の英語は生粋の英国人クーパー氏も、百戦錬磨のA通OM氏も全く理解できないのに、何かしらAR氏には通用して、「彼が、パオパオって良く使うだろう、あれは現地語で、酋長、と言うような意味だよ。」などと解説してくれるほどである。つまり、人を集めるには酋長と話をつけて・・・などと言っているそうである。
  
それから、2つのディストリビューターや実際にキャンペンを行う予定の第2の都市イバダンのそのローカル販売店、マーケットの様子など見て回った。
 
そうして、ADMARKへ当方の広告計画の説明をして、彼らに案をつくらせて、当方へ送ってきて、判断する、となり、私たちは引き上げた。
 
ADMARKへの印象としては、十分機能する、この地ならばまあ大丈夫だろう、と言う感触を得た。

コメントをどうぞ

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください