そして9年が経って、パリ・ダカ―ルラリー総合優勝へ、1992年
最初の参戦から、かなり時間が経っているが、総合優勝の日が来た。
1992年、参戦から、9年目。
お正月明け、ぼくはパリ・モーターショウの現場にいた。情報が入って来て、どうやら総合優勝するらしい、との事。ショウの準備も完了したので、直ちに、パリから、ゴールの南アフリカ、ケープタウンへ飛んだ。
総合優勝のゴールの瞬間を見るために、日本からも関係幹部が来ていた。
その日、ゴールは砂浜でずっと走ってくるらしかった、大勢の観客がたむろし、走って来る車を迎えようとしている。
ジェット機が4機、隊をなして飛び、よくパリダカ記録映画で見るヘリコプターが近辺を舞い始める。雰囲気は抜群だ。
その中を総合優勝車のパジェロがゆったりとゴール。
日本人ドライバー、シノケン(篠塚健次郎)で総合優勝したのは1997年、更に5年が必要だった。