サラエボでのエピソード一つ 1984年
エピソードというとキリがないので一つだけ。
(ドイツのジャーナリスト)
オリンピック開催中、現地オフィスにいた時、突然、1人のドイツ人ジャーナリストが入って来て、ドイツの何とか新聞の記者だが、取材に来たが、車がなくて動けない、車を貸してくれないか、との事らしい。
どういう自分の心の動きか、ぼくはその田舎のおじさん風の、正直そうな純朴そうな中年ジャーナリストに何かしら同情して、ぼくの使っているパジェロを貸してやることにした。そして、ずっと貸してやったのだ。実際はホテルとの間の移動に使っているだけだったので、気楽に貸してやったのかも知れない。
更に、一切見返りを要求しなかった。
おかげで、ホテルとの間はタクシーになり、大変な回数になった。会社への費用請求では、例えば、500円x100回と言う感じで、領収書無し、で通してしまった。
ただ、後で知ったのだが、来日したドイツのディストリビューターの広告宣伝担当マネジャーによると、「えっ、知らないのか。」と言う感じで、そのジャーナリストがお礼のつもりか、かなりな量、ぼくについて記事にしてくれて、ドイツでのM自動車の宣伝になったし、ぼくは一種の有名人だよ、と告げられた。今度、その新聞などを送るよ、と言ってくれたのだが、それっきりだった、まったく。