『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』 ⑪ KENさんのお話(上)

 

以下はこの一連のビッグビートの記事にコメントをいただいたKENさんがかなり長くなったご自身のコメントをまとめられたものです。KENさんはビッグビート開店時期からの常連で、このパラゴンを設置する時にたまたま居合わせて見守ったという奇跡的な経験もお持ちです。更に、オーディ関係での造詣も深い方に見受けられ、ビッグビートのパラゴンの特異性にも言及されています。記事は、上下の2回の予定です。
尚、イラストなどの追加、< >で書かれた部分は私Takashiが追加したものです。
また、3つほど前の記事、『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』 ⑨ ビッグビートのルポが!!の最後尾のコメント欄も(ここです)ご参照下さい。
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ビッグビートの思い出


(1)はじめに

「ビッグビート」は今から45年前に、京都の小さな市場の2階に開店し、一部に熱烈なファンを生み出しながらも、短い間に忽然と消えてしまったジャズ喫茶の名前です。「本格的硬派ジャズ喫茶」としてあらゆる意味で「別格」であったため、その名は今や伝説と化しています。

 

私はTakashiさんと同じく、かつてこの店の常連だったのですが、最近たまたまこのブログにたどり着き、図書館に通ってまでこの伝説の店の資料を発掘した記事を見て驚くとともに、そのこだわりと執念に感銘を受けました。それに伴って当時の色々な記憶がどっと蘇り、やや大げさに言うなら、私にとってビッグビートは、単なるジャズ喫茶ではなく、青春時代の思い出の1ページに記録されるべき重要な空間であったのだということを今更ながら再認識した次第です。

 

そこで、ブログ主さんのご厚意に甘えて、ビッグビートの思い出について書いてみたいと思います。なお、私のプライベートな話や、個人的な価値観に基づく記述も出てきますので、その点はご容赦をお願いします。


 


<スイングジャーナルに40年以上前に出ていたビッグビートの広告です。
少なくとも当時美しいロゴですよね。>


(2)私との接点

私は小学校の頃からクラシック音楽大好き人間で、しかもそれをよい音で聴きたいため中学の頃にはオーディオ趣味にも目覚めていたという変な子供でしたから、友人から「凝ったオーディオを鳴らす喫茶店が開店したよ」と教えてもらったときも、単なるオーディオ的興味で訪れてみただけでした。

 

しかしそれが、私がジャズにのめり込んでしまうきっかけとなってしまったのです。

 

といっても、それまでクラシック一辺倒の高校生だった私にとってジャズは、最初のうちは難解な音楽でした。にもかかわらず、その後何度も通い続け、徐々にジャズの虜となっていったのは、そのオーディオもさることながら、マスターを含めたこの店独特の雰囲気と不思議な魅力が、当時、まだよく理解しないながらも私なりに勝手に抱いていた「モダンジャズ」という前衛世界のイメージにぴったりだったからです。

 

(3)ビッグビートの魅力

では、私が惹かれたこの店の具体的な魅力とは?

 

もちろん、この店が聴かせてくれた驚嘆すべきジャズの音(これについては後述)は大きな要因ですが、音の凄さだけが突出してしまわない、硬派・ストイック系正統派ジャズ喫茶として、その音に十分見合った、首尾一貫した店の雰囲気の魅力も大きかったのです。

 

派手さや賑やかさ、また軽薄さなどとも無縁の、一本筋の通った店の内装もさることながら、自分だけの空間を身の周りにまとい、容易に人を寄せ付けないように感じられるマスターの、今で言う「軽いノリ」とは正反対で、能書きを一切たれない謎めいた寡黙さ、そして、常に一定の手順とポーズで細心の注意を払ってレコードとオーディオ機器を扱う雰囲気が、店内に独特の緊張感を生み出し、そこには「会話厳禁」とはどこにも書いていなかったけれど、おしゃべりなどとは無縁の、純粋にレコードから再現されるジャズの世界だけに浸りきることのできる場が自然と形成されていたのです。

 

この独特の魅力は、ある程度常連にならないとわからなかったと思います。だから、初めて訪れた人には、常連客の雰囲気も含め、排他的な店に映ったかも知れません。でも、決して排他的であったわけではなく、単にジャズに集中していただけなのです。また、マスターには、その日にかけるレコード・曲目の構成とその順番に関するある種のこだわりがあったようで、私も最初のうちはそれがまったくわからず、リクエストレコードがなかなかかからないため、あきらめて帰ったことも時々ありました。

 

さらに、驚異的なスピードで増えていくレコードも魅力のうちで、いち早くエアメールで取り寄せられる新発売のレコードをワクワクしながら聴いたのを憶えています。また、Candidのミンガスやローチ、セシル・テイラーなどを初めとする、当時幻の名盤とされていたレコードもどんどんそろえられていったようです。人数の限られた、しかも長時間居座るマニアックな常連客のコーヒー代だけで成り立っていたとも言える、この小さなジャズ喫茶は、高価なオーディオ機器群に加えて、この点でも謎めいていました。
<続く:次は「(4)ビッグビートのスピーカーの変遷」から>

 

 

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