「伝説の京都ビッグビート」について新証言が・・・・。


岩田氏より記事にコメントありました。
『 パラゴンは1967年頃です(?)
その前は短期間JBL、又々その前はタンノイでした。
私は1966年同志社入学です。』
大筋はこれまでのタンノイからJBL(オリンパス)、そしてパラゴンへ、と合致しています。
?付ですが、1967年、という事で、
どうやらやはりファンキーには負けたようですね。

「伝説の京都ビッグビート」について新証言が・・・・。” に対して1件のコメントがあります。

  1. k5 より:

    こんにちは&はじめまして
    ビッグビートの記事を読みました.当時にタイムスリップしたようでとても楽しかったです.
    私は1962年生まれで、ジャズ喫茶に通い始めた頃にはビッグビートはなくなっていました.
    ジャズ好きの知り合いと話すといつも出てくる京都のジャズ喫茶は、ビッグビート、カルコ20、マンホールではないかと思います.今となってはいずれの店もありませんが、何かのときによく思い出すお店のようです。
    またいろんなお話を楽しみにしています.

  2. Takashi より:

    懐かしいですね。カルコには10回以下しか行っていないですが、マンホールにはよく行きました。四条通りの一本裏でしたよね。
    マスター達は今何をしているのでしょうか?時々思ったりします。

Takashi へ返信する コメントをキャンセル

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください