マリへの最初の関わり・・・25年前|ドゴン族の村へ、自然と文化のダブル世界遺産にアートを求めて

マリという国を最初に覚えたのは、1982年、もう25年も前のことでした。
その頃、ある自動車会社の、海外広告宣伝グループにいた私は、ナイジェリアでキャンペーンを行うために、パリからナイジェリアの首都ラゴスへ向いました。更に、ナイジェリアから横っ飛びにコートジボワール(アイボリコースト)へ行き、アフリカ地区の各国の販売店を集めて、ディストリビューター・コンベンションを行い、帰りにヨーロッパに数カ国に寄って、打ち合わせをする、と言う約40日間のかなり長い海外出張に出かけました。
最初、エア・フランスだと思いますが、広告宣伝会社A社のO氏と二人で、パリから、ナイジェリアの首都ラゴスへ飛びました。あまり大きな飛行機ではなかったと思います。
しばらくして、O氏はいつもの調子で近くにいたいかにもパリジェンヌらしい、多分20歳前の二人の女の子と、英語で話を始め、結構盛り上がっていました。
彼女達は、数年間、マリ(昔はフランスの植民地でした)で看護婦として奉仕活動(?)を行うのだ、との事でした。

そして飛行機はマリのバマコに着陸し、彼女達は降りて行きました。
上から見ていると、マリは、バマコは、殺伐としていて、O氏はため息のように、「こんなところで、あんなかわいい女の子が、2年も、3年も、働くなんて、もったいない。」と洩らしていました。
確かに、何となく、日本ではありそうもない状況に、ポケーっと、降りてゆく二人を見送った事を覚えています。
その時はもちろん特別の感情をマリに持っていたわけではありませんでした。でも、その時、マリという国の名前を覚えたはずです。

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