ジャズは死んだのか?と言う問いとか(資本主義の終焉とか)・・|65歳からアートをつくる 

殆どの人がつまんない問いだなぁ、と思うだろうし、ジャズファンは多分何十年前から言われたことじゃないか、と言う人も多いだろうし、そんなもんどっちでもいいじゃないか、と言う感じのファンも多いと思う。
殆どの中高年ジャズファンは(それより若い層にジャズファンがいるのか?の疑問もある)もはやキースやハンコックやなどの昔からやっている人以外のジャズメンに関心がない、と思う。
が、柳楽光隆が2014年ころからJazz the New Chapter と言う雑誌で今もジャズは進行中だ、とロバート・グラスパーを中心にした活動を言い始めた、と言うのを随分後になって、ぼくは知り始め、ふーん、ホントか?と思いながら、気にし始めた。

しかし、その文脈からちょっと外れて、今読んでいた本2冊、「ジャズ解体新書」(1992年)はちょっと古いが、ジャズ喫茶イーグルのマスター後藤氏が行うインタビュー集、もう一方の「未来への大分岐」は、斎藤幸平氏が哲学、経済の大家と会話する話、共通な話などないと思いながら、何かしらほんわかと共通の微かな感触が残る。
と言いながら、取りあえず、後藤氏の独善的意見には疲れる、いつもの、パーカー礼賛と、今でも変わらず一貫して主張するコルトレーンの価値を下げようと努力する姿、に辟易する。他者に何を求めている?コルトレーンはつまらない、と言う他者の共感いつまでも欲しがるのか?しつこ過ぎる、そろそろ自分だけでそう思っていれば良いじゃないか。コルトレーンは素晴らしい、ぼくは間違いなく確信している、で、一人でコルトレーンを聴けば十分だろう。

取り留めないけど、取りあえずここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

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