1976年11月 人生最初の海外出張:欧州へ|ぼくの海外広告アドベンチャー時代

 
結婚して数か月後、まだトラックGにいた私に海外出張の話しが出て来た。どのような経緯か知らないが、ちょっとまいった。英語がからっきしわからないのだ。
しかも、私を連れて行く人は海外トラック営業部門の部長クラス、英語堪能な実力者、と言うSY氏、私は30歳の、この前結婚したちょっとした問題児。
 
しかし、何となく、私をある程度の戦力にしなければならない、と言う事情かも、とも思った。誰の意思か分からないが、本来はトラックの企画として私の上司が行くべきかなり重要な出張であり、あえて私を送るのは、誰だろう、とも感じた。
 
出張の目的は、小型トラックの欧州進出のためのディストリビューター設定のための打診、チェック、更には導入トラックのスペック検討である。
オランダ、ベルギー、アイルランド、英国、ノルウェイ、スイス、11月22日発、12月13日着、真冬の6カ国、約20日間の日程である。
 
オランダ、ベルギー、英国、ノルウェイ、は既に乗用車系の販売店として設定してある販売店で、そのトラック部門の意欲、能力をチェックする感が強いが、アイルランドはそれとは少々違い、新しい販売店を探す事が目的だった。もちろん候補はいて、その人の能力をチェックする事になる。
 
記憶にある限りだが、彼は、アイルランドで自動車事業をしているわけではなく、アフリカのシェラレオネで事業を行っており、もしM自動車のトラックを扱えれば、アイルランドで一から立ち上げる、と言うのである。彼がまだ稼働してない販売店のスペースとかサービススペースとかを訪れながら、彼の計画を聞く。
 
ぼくでさえ、こんなリスキーな候補で良いのか?と感じた。そして、候補者の家庭にまで行き、家族と共に談笑する、ちょっとぼくなんかには訳がわからなかった。
しかし、もっとずっと後だったか、SYさんは何かしみじみと言ったことがある。
「俺は、こんな奴が好きなんだよね。下の方で一生懸命苦労しながら伸し上がろうと頑張っている奴が。」(最終的には、販売店にはなれなかった。)
 
ノルウェイでは、もちろんその季節、寒くて、雪だらけ、それなのに、SYさんはペラペラのコートしか持っておらず、見る限りものすごく寒そう。一方ぼくは何かしら気に入って買っていたまるで熊のようなJUNのフェイクの毛皮コート、もちろん暖かい。
 
一番ヤバイと思ったのは、西ドイツ、ちょうどクリスマスの前で、辺りにたくさんのクリスマスグッズの屋台が出ていて、夕方になり、それでも、おもしろく、それらの品物を物色していたら、かなり遅くなってしまった。ヤバイと思いながら部屋に帰ると、SYさんはテーブルの上に資料を出して、仕事している。その後何が起こったか覚えていない。
が、SYさんはとにかく怒らなかったし、叱らなかった、静かに文句も言った気がするが、それ以上はなかった、気がする。
 
もう一方で導入トラックのスペックの問題があった。2トンクラスがだ、問題はキャビン。欧州のこのクラスのトラックのキャビンは幅が広い。日本の幅よりずっと広く、これは絶対的な条件のようであった。ある場所では、トラック技術センターの人が合流し、情報収集、ディストリビューターなどの意見聴取を行っていた。
 
 しかし、いずれの場面でも、多分ぼくは仕事としては何もしなかっただろう。
とにかく、痛切に感じたのは、まず英語力、これがなければ取りあえずの勝負もできない。
 

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