1979年 CISA撤退後、僕たちの課題は?|ぼくの海外広告アドベンチャー時代

 
CISAが存在していたころ、海外企画室広告宣伝Gの実際的な主たる仕事は、以下のようだったと思う。
1.(アジア、欧州へ)カタログなど広告宣伝のための資料をを制作して配布する。
2.M自動車テリトリーの各国ディストリビューターたちの現地広告の費用を金銭的に補助する。
3.Mブランドの知名度など向上のためなどにアジア、欧州への国際誌に広告を載せる。
 
1.については、
M自動車固有のテリトリーの内アジアなどにはそれなりに日本で制作印刷して配布していた。
新しい欧州市場には、ロンドンにA通が事務所を置き、ベルギーに制作印刷拠点を設定して、各国語で制作印刷し、配布していた。
RA氏の奮闘で、システムが作られ、だんだんと確立して行き、機能していた。
従って、CISA返還で仕事量は大幅に増えるが、拠点能力の強化で乗り切れると考えられていた。
 
2.については、
早く言えばディストリビューターへ金銭を与える事なので、価格織り込み済みとして、縮小の方向で進んでいた。
 
3.については、
いわゆる国際誌、例えば、NEWAWEEK、TIMEなどの国際版、またJALの機内誌などに定期的に広告を出していた、申し訳程度、と言っても良いくらいだが。
 
そうして、CISA撤退後の市場、及び新市場である欧州が特に問題になる。
 
A:新市場の欧州では、当時、大きな課題を与えられている、ようだった。
CI(Corporate Identification)、DI(Dealer Identification=CIまでトータルなものではなく、ディーラーの店頭のデザインを統一しようとするもの)を欧州ディストリビューターたちから要求されていた。日本国内でもようやくそういう言葉が出て来たころ、と覚えている。
 
M自動車は、少なくとも海外向けには、全体的システム的なものはなく、一つの具体的なサインマーク(ベースボールマーク、と呼んでいたが)、野球のホームベース型の枠の中に、Mマークとその下にMitsubishi Motors の言葉を入れたマークしかなかった。
早く言えば、M自動車のディストリビューター、ディーラーはそのマークのサイン一つを掲げて、商売してくれ、と言う訳だ。
 
殆どの欧州メーカーにおいてはその様なアイデンティフィケーションには当然の如く確立されており、大体において、マーク、フェーシア(いわゆるショウルーム外観に回しているバンド)などを主とした詳細なシステムを作り、マニュアルを持っており、ディストリビューター、ディーラーはそれを忠実に拠点づくりとか、印刷物、広告などに適用していた。
 
当時の日本メーカーは海外ではM自動車と同じようなもので、トヨタにしても、例えば店頭の看板でもまちまちで、日本語の「トヨタ」のカタカナを使ったり、TOYOTAであったり、マークを持っていなかったので余計にバラバラだった。
 
日産などは、Nissanではなく、Datsun(ダッツン=ダットサンの事)をブランド名にしているような惨状だ(後日、日産が欧州で社債を発行したが、誰も日産の名前を知らず、社長が激怒して、気が狂ったようなNissan大キャンペンをしたことは有名)。
 
一方、例えばメルセデスやワーゲンやプジョーなどと同じレベルのようなものを欧州ディストリビューターはM自動車に要求していたのだ。奇しくも、日本においても一種のブーム機運で動いていた。
 
B:もう一つは、CISAテリトリーにおいてである。中国で問題になった件とは内容が異なるが、Mブランドの設定、及び知名度向上の必要性である。
CISAの撤退後、僕たちは現実的に初めて身に沁みたのだが、彼らは、Mitsubishiは使わないで、直に、車のモデル名でマーケティングしていたのだ。もちろん、M 自動車はすべて任した、と言う感じだったので、何も口を出さなかった、或いは、任せたのだから、そんな事に気づきもしなかった、のだろうと思う。
 
CISAのテリトリーではM ブランドの名前はなく、直接的に、車名が出ていたのである。
ケニヤで新聞を見て驚いたのだが、今月の自動車販売、と言う欄には、例えば、次のようだったのだ(数字などは架空)。Toyota に対するブランドが Lancerなのだ。
 
TOYOTA    300
HONDA       140
FORD     100
Datsun              70  (日産の事である、当時ダッツンだった)
Lancer              30
Mazda              30
Galant      10
VW                   5
 
これでは勝負にならない。CISA当時、CISAの広告宣伝の担当であり、撤退後M自動車のコンサルタントになったクーパーさんは、
「こんな事になるのなら、Mitsubishiで行けば良かった。」と言ったが後の祭り。
マーケットに初めて参入するブランドとしての、Mブランドの確立への活動が必要とされていた。当然、上記Aの問題も重なる。
 
大雑把に言うと、まあ当たり前だけれど、課題は次の通りと思っていた。
1.引き続き、カタログなど広告宣伝材料のディストリビューターへの必要十分な供給の確保
2.新市場である欧州及び旧CISAテリトリー<中東、アフリカ、中南米>にての広域的なMブランドの知名度向上とイメージ向上と言って良いだろう。
 

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