村上春樹「意味がなければスイングはない」でのマイルスについて

再び村上春樹の「意味がなければスイングはない」です。

この中で、ジャズとして取り上げているのは、シダー・ウォルトン(ピアノ)、スタン・ゲッツ(サックス)とウィントン・マルサリス(トランペット)です。
シダー・ウォルトン:「強靭な文体を持ったマイナー・ポエト」
スタン・ゲッツ:「スタン・ゲッツの闇の時代 1953-54」
ウィントン・マルサリス:「ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?」

私はマイルス・デイヴィスなので、とりあえず、この本の中で、村上氏がマイルスに触れた部分をピックアップすると以下の通りです。
まず、彼は、通常日本では「マイルス」と言うのに、「マイルズ」と記しています。アメリカではこう発音している、という事なのでしょう。(ただ、伝聞ですが油井正一はあえて「マイルズ」と書く事はない、そう書くと「日本語では、最後のズにアクセントが置かれ、これまた米国での発音に合わなくなる」と言っていたそうです。)
1.マイルズには融通無碍なテクニックはない
2.マイルズは演奏家としての限界を認め、テクニックの不足を精神性=魂の動きで埋めていった
3.マイルズは人間的には鼻持ちならないエゴイストだった。
4.マイルズにはどうしても語らなければならない自分の物語があり、それを生き生きと相手に届ける自身の言葉があった、マイルス自身の目がとらえた固有の風景があり、それを提示する語法があった
5.ジョン・コルトレーンが亡くなって以来、マイルズ・デイヴィスの幾つかのアルバムを別にして、いったいどれだけの真に「デモーニッシュな」ジャズが僕らの前に登場しただろう?

元ジャズ喫茶のマスターで、私などより何百倍も多くの、また長い時間ジャズを聴いている人に対するのもちょっと嫌ですが、どうも引っかかる部分もあるのです。この1,2でのテクニックと精神性という問題で、初期の頃こそ、デビューでの下手さとか、ガレスピーのテクとの比較などでテク不足を言われていたが、その後もテク不足、と言われなければならないのか、疑問です。あれだけの表現ができる人に対して、テク不足と言う事はありえない、と思うのです。
「テク不足を精神性で埋める」と言う表現も理解が困難です、テクと精神性とはそのような関係であり得るのでしょうか?
3.も、余りにも一方的な言い方だと思います。実際に会った事もないのに、「鼻持ちならない」とはどのような事を根拠にしているのでしょうか?女性に対する態度でしょうか、ギルに対する仕打ちでしょうか、・・・よく分かりません。エゴイストというのは確かにそうでしょうが、普通の人でのエゴイストとレベルが異なる、と言う感じはしませんし、音楽的には、むちゃくちゃなエゴイストとは思いますが、自らの音楽を創造する音楽家としては当然と言う気がします。
4.の辺りは、他での「王者マイルズ」なども含め、納得できるものです。ここでも、「自身の言葉」「提示する語法」などと言っているのに、やはり「テク不足」と言う言葉を何故持ち出さなくてはならないのかは、理解に苦しみます。「物語」「言葉」「語法」など自らの作家としての感覚を重ねて語っているのだろうと思うのですが、「テク」とは何なのか良く分かりません。何かの文章で「最近ようやく自分の思いを文章に表せるようになった。」と述べていましたが、そのような事を言っているのでしょうか。
5.は真にマイルスを評価している表現ですね。
<続く>

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