マンガ、「ブルージャイアント」と「だんドーン」|65歳からアートを造る(今77歳)
今、読んでるマンガ雑誌の中では、ぼくにとって2大マンガ、ビッグコミックの「ブルージャイアント」とモーニングの「だんドーン」で重要な場面が続いた。
ブルージャイアントでは、現在のニューヨークで初めて大たちのバンドが演奏したのだ、客はジャズマンが多い、果たして評価は?と言う場面である。
大たちが、ニューヨークの最底辺でニューヨークを感じ、掬い取った何かが新しい、まだ存在しない、演奏を作る。
演奏が終わった、半数が賛同し、半数が拒絶した(個人的には半数の賛同で十分と思うが)。
大のジャズがどんなジャズか、を常に意識しているが、マンガなので音は聞こえてこない、前の映画では上原ひろみの音楽でサックスが鳴ったが、あれはやはり、高校卒業してまもなくの時期であり、マンガはその後、欧州に渡り、USAに来たものの周辺都市で演奏をしながら、今やっとニューヨークに着いたのである。
当然、これまでの彼らの演奏ではない、どんな演奏なのかは、まだ、わからない。
次に、モーニングの「だんドーン」では、主人公(ここで死んでしまうので、今後の主人公ではない)の桜田門外の変での攻撃側水戸脱藩藩士17名に、ただ一人参加した、薩摩藩士は、大老・井伊直弼の首を取って、昨夜結婚した女を思いながら、死んで行った。リアルである。何か、空白の空間があるような殺伐とした画面の気配が、余りにリアル。マンガは大老側からもずっと見続けている。傑作と感じる。
(主人公は井伊直弼の首を高く掲げ、昨日妻になったマツの事を、今、見守っているその母親にマツをよろしく、と叫ぶ)。
映画はやはり2時間+の枠があり、凝縮の中にあり、マンガは延々と続けることができる。
大きな違いだろう。