続き:古いブログから:メアリージェーン+YAMATOYA+『伝説のビッグ・ビートを巡る散歩②』(2)

 

ジャズ喫茶の系譜:メアリージェーン、YAMATOYA、ビッグ・ビート+ファンキー(2):2006年3月2日

  • 2006.03.02 Thursday

ちょっと心に引っかかっているのは、東京へ転勤になって、
あるチャンスに京都に来たとき、そして懐かしの「ビッグ・ビート」に寄ったとき、もはや店は閉じられ、そして、「ビッグ・ビート」が何時頃、どのように閉店になり、あのひげのマスターはどうしたのか、が分からないことでした。
「ビッグ・ビート」は小さな市場の上にあったので下の市場のおじさんに聞いたら、「まだ、訪ねて来ている人がいる」と大声で笑われてしまいました。
YAMATOYAのマスターは、その本の中で、次のように言っています。
僕が通っていた「ビッグ・ビート」のオヤジはもっと凄くて、自分の好きな順番でしかかけないもんですから・・・・・・なかなかかからない。かかっても、たとえば「レフト・アローン」が流行っているとき・・・・・B面をかけたりするんです。・・・・・僕もそんないけずのところで育ちましたからね。』
『・・スピーカー探しは苦労しました。ジャズ喫茶をやる以上、よその店よりもいいオーディオ・・・・僕の良く行っていた「ビッグ・ビート」というジャズ喫茶がパラゴンparagonだったし、それに負けないものというと、もうアルティックのA3しかなかったですね。・・・・京都のジャズ喫茶はどこも音が良かったんです。
・・それがだんだん東京にも波及していったんです。・・東京のジャズ喫茶というのは、・・・あまりいい装置とはいえなかった・・「ファンキー」の野口君が最初にパラゴンを入れて、それからだいぶ変わっていきましたよね。』
そうなんですね、あの頃の「ビッグ・ビート」のスピーカーJBLパラゴンは超超高級スピーカーでした。
学生時代、多分下宿にいた時間以外では、あの「ビッグ・ビート」にいた時間が一番長いだろうと思います。
だから、どうしても全く個人的にあの閉店のいきさつ、その後(パラゴンは何処に行ったのかを含めて)が気になるのです。
もう一つ、この何の利益にもならないような、重箱の隅をつつくような話としては、日本でパラゴンを最初に入れたのは、わが愛する「ビッグ・ビート」か東京の「ファンキー」か、という重大問題があります。
実は、四谷イーグルの店主後藤氏は彼の著作「ジャズ喫茶のオヤジはなぜ威張っているのか」の中で、『日本で最初にJBLパラゴンを導入した「ファンキー」の野口・・』という言があります。
YAMTOYAのマスターの話ではオーディオは京都が先で東京が追随です。
従って、日本で最初のパラゴン導入の栄誉は「ビッグ・ビート」の気がします。
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今日聴いた音楽。
1)マイルス・デイヴィス:アット・フィルモア:いつ聴いても、凄いですね。
2)エルヴィン・ジョーンズ+ウィントン・マルサリス、ピット・イン・ライヴ:至上の愛:ここでのマルサリスは文句無く素晴らしい
3)インタープリテーション・オブ・モンク:バリー・ハリス、ドン・チェリーetc:モンクの死の数ヶ月前
<続く>

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